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習近平「訪日延期」で強まる中国「監視・管理システム」の近代化

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 世界中に新型コロナウイルスの感染者が蔓延する中、中国では4月末までに状況を抑え込めるとする見解を流し始めている。  中国が公式発表する感染者数の信憑性はさておき、習近平政権の現在の特徴は、1つは徹底した抑え込み、つまり「人の流れの遮断」である。  もう1つはIT(情報技術)を駆使した国民ひとりひとりに対する驚くような「監視システムの実験場」ともなっている実態である。高まってきた政権批判を許さない「言論封殺」も予想通りだ。  背景には、明朝や清朝が疫病を1つのきっかけとして政権が交代したように、人民の怒りで政権が交代、滅びることを習近平中国国家主席は知っていることがある。  習近平主席は中国共産党の歴史で最大の危機ととらえている。 ■訪日延期の「誤算」と「課題」  日中双方は3月5日のほぼ同時刻、「桜の咲くころ」を予定していた習近平主席の訪日を延期すると発表した。訪日は東京五輪、天皇陛下のご都合、衆院解散などを踏まえれば、今年秋以降になると予想される。  日本政府は同時に、中韓からの入国を大幅に制限する方針を表明した。  個人的には、米国や欧州主要国のように、湖北省・浙江省に限定せずもっと早く中国人全体の入国を制限すべきだった、と考えている。  一方の中国は2月中旬から、入国する外国人と帰国する中国人を14日間隔離する措置を講じてきた。  しかし日本としては、習近平主席の国賓訪日を招請した(実際は約3年前から中国側が打診していたともされるが)立場上、 「来日を拒むような政策をとりにくい」(永田町関係者)  との判断だったと思われる。  安倍晋三首相の支持層である保守層からも、 「日本の入国政策もクルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス』の措置も甘すぎた。完全な失策」  と批判が高まる中で、遅すぎたとは言え、大幅な入国制限措置は習近平主席の訪日延期を双方が発表したことで、ようやく可能となったとされる。  今回の決定を受け、中国側から早速、筆者に連絡が来た。  中国では、日本でも不足する中でマスクなど支援物資を日本政府や民間人が届けてくれたことに感謝する声は全土であり、 「今回の両国の友好機運は双方が醸成したもので、訪日延期は本当に残念です」  としたうえで、筆者の中国での講義も延期されたこともあり、以前に中国の研究機関で発表したテーマ「日中の安全保障の課題と前進」の第2弾を執筆するよう依頼してきた。  その理由は、双方で確執がある領土問題や海洋問題での安全保障面も含めた前進を、習近平主席の訪日で図りたいとの考えが、訪日延期ででも北京にあるからだという。  しかし、本当に北京にその意思があるならば、昨年だけで1000隻を超えた尖閣諸島海域の接続水域や領海への侵入や、急増した自衛隊機による対中国軍機のスクランブルの実態、相次いだ日本人の拘束、東シナ海のガス田の増加などで改善措置を講じるのが筋といいたいところだが、習近平政権にとっては、一方的な譲歩は国内での批判を受ける要素になる以上、 「特に領土問題では譲歩はできない」(中国シンクタンク研究者)  ということらしい。  ちなみに、日本のマスク支援を中国人が感謝している線上には、友好ムードを演出する中国政府の公式表明・宣伝があり、そこには米中が覇権争いを展開し、内憂外患の中国は日本をつなぎとめたいとの危機感がある。過去の反日デモも「官制デモ」の色彩が強かったことを踏まえれば、「感謝」「友好」「一衣帯水」という言葉には危うさもにじむ。  習近平政権はもともと、米国との対立の中で世界第3位の経済大国・日本との関係を当分は安定させたい、と考えていた。  新疆ウイグル自治区でのウイグル族に対する弾圧を内部告発で暴露されて西欧社会から批判を生み、香港では親中派のビジネス界も含めて大規模なデモが吹き荒れ、死因不明の遺体が多数出るなど、警察による摘発ぶりに国際社会は眉をひそめた。  また国内経済の失速、広域経済圏構想「一帯一路」が弱小国に負の遺産を押し付けているとの批判が渦巻いていて、そこに発生したのが新型コロナウイルスで、こうした負のイメージを変えられる、と思っていたと思われる。  習近平主席にとっては、対ウイルスの「人民戦争」に目途をつけ、日本の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)を少し延期して3月下旬に開催し、4月頭に訪日することで中国外交の正常化を国内外にアピールする思惑だった。  さらに、「訪日後に、ダメージを受けた中国経済の立て直しに本格的に指導力を発揮」(中国筋)し、危機を勝利に変える発想で、自身の求心力を高めるとの考えだったと思われる。  しかし、蜜月関係にあるロシアまでが中国人の入国を禁止するなかで、全人代も開催せずに外遊すれば国内からの批判は避けられない、と判断したようだ。  日本政府にとっては、もう少し早く中国側から訪日延期を切り出し、大幅な中国人の入国制限措置を講じたかったと思うが、習近平政権は対ウイルスの「人民戦争」で人の流れを遮断して勝利しても、特に中小企業や中規模以上の工場が倒産すれば、労働者の不満が高まり社会不安を招くという危機感があった。  そこで、2月下旬から経済活動の再開を地方に指示し始めている。この経済活動の復活に、習近平主席の訪日による日中経済活動の再活発化という思惑が組み込まれていたことが、中国側から延期を切り出すのが遅れた理由でもあるようだ。  そして、日本でも感染が急速に広がり安倍政権が大胆な対応を迫られる中で、「ホスト国日本も大変な状況にあり、訪日の環境が整わない」という言い訳とメンツを立てることが可能になったのだ。 ■監視システムの「実験場」  このほど、友人の中国人ビジネスマンが日本から帰国した。その際に筆者が用意したのは、数少ないマスクと100円ショップで買った消毒用の噴霧器、ウイルス対策の防護服の代用として雨除けのポンチョと靴を覆うカバーの約10セット。それに、汗が出やすいと宣伝するジョギング用のやや厚めのビニール製ウェアのセット(上下)だ。そして3000円程度のゴーグルと使い捨てのビニール手袋も。  彼はそれらを通関後にトイレで装着。機内や中国の空港では汗だくになりながら、「暑くて死にそうだが、とりあえず安心だ。ありがとう」と自身を撮影した写真とともにメールしてきた。  彼の話では、北京の空港では機内に検疫官が乗り込み、出国、海外滞在の履歴、連絡先などを書き込む「健康申請カード」に記入した後、カードとともに全員のパスポートを預かった。しばらく待っていると、乗客のうち2人を連れ去った。どうやら1人は発熱、1人は湖北省の出身だったという。  スマホの電源を入れると、すぐに中国政府から「アプリを通じて自身の居所の情報を報告せよ」という趣旨のメールが届いた。早速、経歴などを打ち込み送信。  家に到着後は、集合住宅のガードマンから提示されたQRコードを読み取ると、空港で打ち込んだ“報告表”がスマホの画面に映し出され、さらに詳しい質問に回答する。  それを管理組織に送信してしばらくすると、14日間の自宅隔離とマンションへの進入許可の返信が届く。それをガードマンに見せてようやく自宅に戻れた、というのである。  習近平政権は、何より首都北京をウイルスから死守する姿勢である。全土で過剰なほどの封鎖措置がとられているが、北京も地区ごとに管理体制が異なるとはいえ、厳戒態勢にある。  レストランでは2人以上での食事はできず、マンションでは自宅隔離者のために管理者が希望する食材を届けてくれる。14日の隔離を経て外出しても他の地区に入ることは難しく、しかもスマホにより自身の位置が当局に通知されているようだ。  もともと、一部を除くすべての中国人は、番号が割り振られた身分証を、すべての金融活動はもちろん、鉄道、航空機、ホテルなどで使用している。  今は、北京では地下鉄やタクシーで移動するにもQRコードでの移動登録が必要で、即座に濃厚接触者の移動が把握できるシステムとなっている。また、高速道路でもスマホでQRコードを読み取り登録する必要がある。当然、スマホの電波から特定人物の移動を追跡することも可能だ。  監視カメラが街中にあふれる中国だが、さらにどこに感染者がいるか、どこで濃厚接触したかがわかるアプリがあり、人手をかけて集団感染のルートを遡らなければならない日本とは雲泥の差である。  ウイルス対策には有用な一方で、今回のウイルス問題は、すべての国民の動きを把握できるシステムを構築する「個人管理実験の場」となっている。  容疑者はもとより、反政府の言動をもつ国民の動向を把握し追跡できるIT技術は、今回のこうした実験によってさらに発展していくだろう。  もとより、スマホで所有者の音声を聞くことも可能なだけでなく、国民ひとりひとりがスマホのアプリで「信用度」点数が加算されたり引かれたりする生活が普通の中国だ。  ただ、各地方政府は中央に評価されようとしており、ウイルス対策用監視システムも地方政府ごとで異なっていることが多い。そのため、それらのシステムを統合することは簡単ではないかもしれない。  しかし中国では、最新の個人情報を大量に提供できるシステムが高度に統合されつつあり、人を監視、管理する領域が近代化する方向に向かっていることは確かだ。各国は、感染拡大防止のために中国のこうした手法が参考になるか否か、注目していると思われる。 ■相次ぐ「言論の自由」を求める声  こうした「監視社会」は、「言論封殺」と同一線上にある。  習近平主席に対する強烈な反発や批判が2月、中国の知識人の間で鮮烈に噴出した。  その背景には、政府の新型コロナウイルスに対する初動対応の遅れと、「ヒトからヒト」の感染を知らせようとした李文亮医師(後に感染死し、庶民の怒りの声を受けた政府はデマ流布者としていた李を一転して英雄扱いとした)を懲罰したことで象徴される言論封殺が感染拡大を招いた、との庶民からの批判がある。批判というより、初期対応の遅れに嘲笑、憎悪がネット上で溢れかえったのだ。  習近平政権が感染対策を指示したのは、12月1日ともされる最初の感染者出現から2カ月近く経過した、1月20日だった。  しかし、2月16日発行の党理論誌『求是』は、2月3日の政治局常務委員会の会議で習近平主席が、 「1月7日の会議で新型肺炎の防止策を要求した」  とし、指示の日付を前倒ししたのだ。  1月7日の会議の様子は『新華社通信』などが伝えているが、新型コロナウイルスに関する記述はない。もちろん、すべての内容を伝えることはないとしても、重要事態なら伝えるはずだ。日付を変えたのは、習近平主席が批判をかわすため、早くから危機感を持ち重要指示を出していた、とするためだ。  1月7日の会議で、ウイルスの報告は習近平主席に上がったことだろう。それに対し、習近平主席が「きちんと対応せよ」くらいは言っただろう。また、春節(旧正月)に影響を及ぼさないようにしろ、という言葉だったとの話もある。  政権への批判は、清華大学の許章潤教授が2月初旬から、 「(習近平政権は)最初は口を閉ざして真相を隠し、その後は責任を逃れ感染拡大を防止する機会を失った」 「製造大国といいながらマスクの調達さえ危ない」 「人々はとうの昔に権力の神話を信じていない」  などと、政権を無能呼ばわりする公開書簡をネットに上げたのが象徴的だ。  NGO「長沙富能」による「李医師を国葬に」とする訴え、北京大学、清華大学、政法大学の教員、弁護士、企業家ら30人近い有識者が言論の自由を書き綴った「全国同胞に告ぐ書」、そして武漢大学の教授たちによる公開書簡、「感染拡大は人災」とした独立系作家クラブ団体による500人を超える書簡など、次々と言論の自由、告発者保護、李医師の死の真相究明などを求め始めた。政権の統制下にあるメディア内部でも「声を上げるべき」との動きが出た。  こうした知識層の声をまとめると、体制そのものの見直しを求めている。  ただ、特筆すべきは、今回の場合は一部の知識層に止まる声ではないということにある。  民主化運動を武力弾圧した天安門事件(1989年)で「言論の自由」を求める動きは知識層の中にあったが、これまで一般庶民にとっては一部の人間が語っている他人事で、自らの経済、生活と富が最大の関心事だった。  今回、庶民に教訓となったのは、「情報統制」が強化され「言論の自由」が封殺されれば、自分たち庶民にも思わぬ“災難”が降りかかることを知ったということだ。 ■「一党支配」の限界を象徴  今後、「言論の自由」、「体制の見直し」を求める声はさらに広がって、共産党政権の持続に大きな影響を与えるのだろうか。  筆者は、「言論の自由」を求める声は消えることはないだろうと思う。しかし、国民の間で定着し拡大して、一党支配体制が改革されるかは見通せない。  逆に、ウイルス対策が終われば、政権内部の反対の声、政権外の批判の声を摘発する動きが強く出ると推測する。  ウイルス問題終焉後の焦点は、「国民経済の復活」となり、政権が国民の不満を満足に変えられるかどうかが、カギを握るだろう。それに失敗すれば、反体制の動きは庶民の不満を基盤に顕在化することだろう。  だからこそ、習近平政権は経済活動の再稼働、中小企業への救援、労働者支援対策に本腰を入れることになると思われる。 「1435社の85%が3カ月で手元資金がなくなる」  という調査もある。  加えて国連では、 「中国の輸出が年率2%、500億ドル相当減る」  との試算を発表している。特に民間企業(中小)が銀行から融資を受けられるようになるか注目しなくてはならない。  ちなみに、経済の復活、つまり国民が実利を得たという実感を与えることに失敗すれば、対外政策で強硬的政策をとることも視野に入れなくてはならない。  言論の自由が共産党政権を揺るがし、既得権益層の利益を損なうことは目に見えている。  案の定、習近平政権は、武漢の火葬場の実態を暴こうとした市民ジャーナリストや、「政権は支配の正統性を失った」などと痛烈な政権批判を公開した知識層を2月下旬から拘束し始め、多くは行方がわからない。  前出の清華大学・許章潤教授も行方不明になっている。  拘束された中には、筆者が個人的に交流していた法学者らもいる。  中国人がよく使うSNSの会話の監視も、厳しさを増し始めた。  こうした言論封殺の強化、管理社会の強化に対し、許章潤教授の同僚らは、 「このまま共産党政権に順従していれば、亡国する」 「人を道具扱いする監視社会はウイルスよりも怖い」 「言論統制は多くの人を洗脳し無知状態にしている」  と、政権批判の声を上げている。しかし、この声がいつまでも続くことはないだろう。  これまでの経緯と特徴をざっと指摘したが、一言で言えば、一党支配体制の限界を露呈させ、中国が抱えている問題が象徴されたのが、今回の新型コロナウイルス拡大という失策だ。  2020年2月12日の拙稿『新型肺炎「感染源」いまも打ち消せない「疑惑」と「謎」』で指摘したように、情報を隠し見せかけの安定を作り出そうとする「隠蔽体質」、党中央指導部が動かないと何もできない「官僚体質」、そして地方・中央も含めて習近平主席に対する「忖度政治」が、中国国内外にウイルスを蔓延させた背景にある。この体質は変わることはないだろうし、むしろ「監視、管理社会」「言論封殺」が“近代化”していく可能性が高いのだろう。

野口東秀

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