戦後革命を起こした1949年の名車 22選 欧米の「未来」を描いたクルマたち
フレイザー・ナッシュ・ミッレミリア
フレイザー・ナッシュは、第二次世界大戦前後のレースでの活躍により名を馳せた。そこから、有名なイタリアン・レースを連想させる「ミッレミリア」という名のモデルが発売された。 しかし、購入できる人が少なかったためにわずか12台しか生産されなかった。優れたル・マン・レプリカをベースにしており、エンジンはわずかにデチューンされたものの、決して性能不足というわけではなかった。 ミッレミリアは鮮やかな加速と素晴らしい走りを見せてくれる。
ヒーレー・シルバーストーン
ドナルド・ヒーレー氏はエースドライバーであり、メーカーであり、ホイールディーラーでもあった。 シルバーストーンは強力なパフォーマンスと優れたハンドリングを実現し、モータースポーツで瞬く間に成功を収めた。しかし、人気のナッシュ・ヒーレーの生産に集中するため、シルバートーンは早々に生産中止となった。 簡素化されたシルバーストーンは優れたレーシングカーであったが、ヒーレー氏はロードカーとしても考えていた。軽量化のため、スペアタイヤがリアから少し突き出るような形状で、リアバンパーを兼ねる設計となっている。週末のレースでは、すぐに取り外して車体を軽くすることもできる。
リンカーンEL
1949年モデルのリンカーンELは、最上級のラグジュアリーと快適さを求める人々に向けたクルマだ。フルサイズで、4ドア・セダン、コンバーチブル、2種類のクーペがあり、それぞれ流線型の外観を持つ。 セダンは、1960年代まで続くリンカーンのトレードマークであるリアヒンジのバックドアが特徴的だ。いずれも先進的なものを求める米国の消費者に人気があった。 エンジンはリンカーンの伝統にとらわれず、V12の代わりにV8を採用した。親会社フォードによる合理的な判断だったが、336立方インチ(5.5L)のV8エンジンはパワーもトルクも不足はなかった。
マンツ・ジェット
名前の通り、決して内気で地味なクルマではない。米イリノイ州の実業家で自称「マッドマン(狂人)」ことアール・マンツ氏が発売したもので、「パーソナルな高級自動車」と宣伝された。 取り外し可能なハードトップを備えたコンバーチブルで、非常に低く構えたアルミニウムの流線型ボディが特徴だ。キャデラックまたはフォードのV8エンジンを搭載し、どちらもスムーズで速い走りを実現した。 しかし、過剰な生産コスト、ディーラー網の不足、既存の高級車メーカーとの競争などが重なり、わずか198台の生産で頓挫した。ミッキー・ルーニー氏やグレース・ケリー氏のような著名な顧客が付いても、マンツを財政的な瀬戸際から救い出すことはできなかった。