戦後革命を起こした1949年の名車 22選 欧米の「未来」を描いたクルマたち
常識を覆す革新的な自動車
1949年の自動車シーンは、前年にビッグネームが相次いで発表されたことから、期待薄な年だったかもしれない。 【写真】偉大なる「伝説」の幕を開けたスポーツカー【ポルシェ356とフェラーリ166インテルを写真でじっくり見る】 (30枚) しかし実際には、フェラーリ初のロードカーが登場したり、各社でまったく新しいデザインが採用されたりと、世界中で革命的な変化が見られた年だった。 それは、戦争時代を乗り越え、新たな繁栄を享受しようとする人々のムードと呼応していた。 今回は1949年に登場した素晴らしいクルマの中から、欧米で販売されたものを中心に、特に興味深い22台を紹介しよう。
アラードP1
ロンドン生まれのシドニー・アラード氏は、米国製V8エンジンを英国製のシャシーとボディにマッチさせた最初の1人だ。多くの点で先見の明があったと言える。 この年、自身の名を冠したアラードという自動車メーカーをさらに拡大するべく、2ドア・ボディのP1を投入する。フォードやマーキュリーから流用した荒々しいエンジンなど、その競技用車両としての血統は明らかだった。 当時の欧米は、戦時中の貧しい雰囲気が薄れ始める中、より華やかなクルマを求めつつあった。アラード氏はその世相を読み、P1に競技性を持たせて魅力を高めた。モンテカルロ・ラリーの歴史において、自らの名を冠したクルマで優勝した唯一の人物となっている。
オースチンA90アトランティック
英国は第二次世界大戦で勝利した側とはいえ、莫大な借金を抱えて無一文になってしまった。このため、戦後間もない時期には「輸出か、死ぬか」という気風が高まり、多くの英国車メーカーが収益性の高い米国市場への参入を試みた。 オースチンが開発したのはA90アトランティックで、最初はコンバーチブル、次にクーペを発売した。残念ながら、米国ではエンジンが小さすぎ、英国では価格が高すぎるとして商業的には失敗した。 ダブルの「A」バッジや三つ目のフロントランプなどのディテールは、今見ると魅力的な時代物であるが、当時は販売にほとんど貢献しなかった。 合計8000台ほどが生産されたが、現在では世界でわずか60台ほどしか残っていないと推定される。しかし、アトランティックのエンジンとトランスミッションは1954年に登場したオースチン・ヒーレー100/4に受け継がれた。