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ソフトバンクの強さ支えた川村さん 駆け出しの記者に教えた仕事の流儀

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西日本スポーツ

〈記者コラム〉

 3軍の遠征先で15日深夜に急逝したソフトバンクの川村隆史さん(享年55)はダイエー時代から長きにわたってチームを支えた。常勝軍団へと進化する過程で自らも成長。コンディショニング担当として選手たちの体だけではなく心にも寄り添い続けた。シーズンは残り40試合。3年ぶりのリーグ優勝を目指すチームの戦いを、ベンチに掲げられたユニホームとともに川村さんが天国から見守っている。 【写真(6枚)】小久保も摂津も・・・誰もがお世話になった川村さん  記者として駆け出しのころ、失礼を承知で聞いたことがある。「コンディショニング担当ってどんな仕事ですか」。今にして考えれば、もう少し別の聞き方があったのではないかとも思う。でもその時、川村さんはうれしそうに笑ってくれた。「僕らの仕事に興味持ってもらえるんですか? うれしいなあ」。眼鏡の奥の目を細めながら、嫌な顔もせずに答えてくれた。  やり始めたらとことん凝る性分だそうだ。チームスタッフに水槽をもらったのがきっかけで熱帯魚を飼い始めたころ、最初はポンプの音がうるさくて眠れなかったという。ところがしばらくして聞くと「繁殖させようと思って。もう一つ水槽を買わなきゃ」。楽しそうに語ってくれた。  自宅のタンスの引き出しに土を入れ、クワガタを育てた話も聞いた。きっかけは大阪の実家で飼育しているオオクワガタをもらってきたこと。選手やスタッフに配り大好評だった。「みんな喜んでくれるから」と育て方を研究してさらに増やそうと張り切っていた。

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 そんな感じで、自分の仕事にも「とことん」向き合った人だったのだろう。1992年にコンディショニング専門の球団職員としてダイエー入りし、王監督就任2年目の96年にコーチとなったが最下位。責任を痛感して悩んだ一方、逆の考えも浮かんできたという。「あのころは確かに弱かった。でも、これからこのチームがどうなっていくか見届けたくなった」  大学時代に空手(ライトコンタクト)で全国制覇した。足の故障でそれまで続けた剣道を断念。ゼロからスタートした競技での頂点だった。野球も同じ。経験がなく最初はキャッチボールですら苦戦したが、当時エースだった工藤監督らに教わり徐々に上達したと聞いた。真摯(しんし)に自分の仕事に向き合いナインに寄り添ったからこそ、常勝と呼ばれるようになった今ではチームにとって不可欠な人材となっていた。

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