「最も有名な宇宙の法則」から自分の名を消そうとした科学者の苦悩
驚くべき「真犯人」
ここで、ハッブルの名を思い浮かべた読者は少なくないだろう。彼には、膨張宇宙の第一発見者という名誉をルメートルにさらわれたくないという明確な動機がある。実際に、すでに没後ではあったが、ハッブルにも疑いの目が向けられたようだ。 しかし、彼は潔白だった。なんとこの事件の「犯人」は、ルメートル自身だったのだ。 論文の英訳は、ルメートルが自分でおこなった。彼が雑誌の編集者に宛てた手紙を調べたところ、このようなことを書いたものが見つかった。 〈すでに(ハッブルによって)発表されたことをもう一度載せても面白くない。かわりに新しい論文や引用文献を紹介したほうがよい〉 そのような理由でルメートルは、自身の発見についての記述を論文からすべて削除し、膨張宇宙の第一発見者であることを示すチャンスをみずから棒に振ってしまったのだ。 彼は後年、「ハッブルの法則」という名称は悔しくないのか、と尋ねられたときにも、こう答えている。 〈世間がそう呼んでいるのなら、それでいい〉 「2番では意味がない」といわれる科学の世界で、信じられない無欲さである。その理由は、彼の性格の謙虚さにもあっただろう。しかし、それだけではなかったと私は考えている。
なぜみずから存在を消したのか
ルメートルは物理学者でありながら、カトリックの敬虔な信者でもあった。 若い頃に第一次世界大戦に従軍し、戦場の悲惨さを目の当たりにした彼には思うところがあったのだろう。帰国後、神学校でカトリックの教義を学び、司祭にまでなっていたのである。 しかし、カトリックと科学の間には、長く不幸な歴史が横たわっていた。 有名なのは地動説を唱えたガリレオの異端審問による有罪判決だろう。それ以前に地動説を提唱していたコペルニクスも、死の間際まで弾圧をおそれて発表を控えていた。「太陽さえ宇宙の中心ではない」という画期的な考えを発表したブルーノは、火あぶりの刑に処せられた。 頑迷なカトリック教会への畏れと嫌悪は、20世紀になっても科学者たちにはトラウマのように残っていた。 なかでもアインシュタインはカトリックを毛嫌いしていた。ルメートルの膨張宇宙論を知った彼はルメートル本人に向かって、 「あなたの計算は正しいかもしれないが、あなたの物理は忌まわしい」 と不快感をあらわにしている。そこには膨張宇宙論への困惑だけでなく、宇宙のはじまりをカトリックの人間に解き明かされるのは我慢ならないという思いがあったはずだ。 『旧約聖書』の冒頭には、天地創造について記した「創世記」があり、そこには、 〈神は「光あれ」と言われた。すると光があった〉 と書かれている。 これは見ようによっては、ビッグバン理論(当時はそうは呼ばれていなかったが)そのものである。 実際にカトリック教会では当時の教皇ピウス12世が、ビッグバン理論を「創世記」を証明するものとして歓迎の意を示し、ルメートルをその発見者として讃えようとした。 だが、これに対してもルメートルは、教皇に拝謁して「それとこれとは違うのです」と懸命に否定している。 関連記事:カトリック教会はビッグバンを歓迎した 科学者として「命」にもひとしい第一発見者という栄誉を彼が頑ななまでに拒んだのは、カトリックの司祭である自分がこのようなところで名を残すことは、かつての科学とカトリックの悲劇的な記憶を呼び覚まし、科学の進歩を阻害することになりかねないと考えたからではないだろうか。 だからこそ、みずからの名を必死で抹消したのではないだろうか。 ルメートルと同様に物理学者にしてカトリックの聖職者でもある私には、彼の苦悩が切ないほどわかる気がする。 そして、今回の名称変更を彼のために心から祝福し、「もう心配しなくてもいいのですよ」と言ってあげたい気持ちになるのだ。 『科学者はなぜ神を信じるのかコペルニクスからホーキングまで』 「先生は科学者なのに、科学の話のなかで神を持ち出すのは卑怯ではないですか」 ある高校生から投げかけられたこの質問が、本書が生まれるきっかけだった。 素粒子物理学者として「小林・益川理論」のノーベル賞受賞に貢献し、 カトリック教会の聖職者でもある著者が探し求め、見いだした答えとは? 三田 一郎 著 Amazonはこちら
三田 一郎(名古屋大学名誉教授)