タブレット純がムードコーラスに魅せられた人生を語る「幼少期から変わり者だという自覚はあった」
突拍子もない言動から奇異の目で見られることも多い、芸人・タブレット純。だがその実像は単なるイロモノ芸人ではなく、実力派ミュージシャンという面も併せ持っている。数奇な運命を辿りながら現在に至るまで、どのような道を歩んできたのか? その圧倒的な個性はどのようにして作られたのか? ムードコーラスの魅力に迫った著書『タブレット純のムードコーラス聖地純礼』(山中企画)も話題となっている本人に直撃した。 【写真】ムードコーラスの語り部、タブレット純の撮り下ろしカット 「自分はどうやら変わり者なんだなという自覚は小さい頃からありました。なぜ他の人と違うのかというと、やっぱりそれはセクシュアリティの話に行きつくと思う。当時は今よりもLGBTなどに対する理解が社会になかったし、ましてや子供だから自分たちと違う人間に対して排他的になるじゃないですか。そうすると、どうしたって浮いちゃいますよ。 そんな僕でしたけど、一応は周りに合わせて『リンドバーグが好き』とか言ってはいたんです。なにしろ当時はバンドブームでしたからね。実際はリンドバーグなんて一度も聴いたことがなかったですけど(笑)。ボーカルの渡瀬マキさんがボーイッシュだったから、これなら自分的にもギリギリ許容範囲かなと思って」(タブレット純、以下同) タブレット純は、ひらすら自分だけの趣味に没頭する少年だった。AMラジオ、昭和歌謡、相撲、プロレス、プロ野球……。勉強もスポーツも全然ダメで、女生徒からも一切モテない。学校には居場所なんてあるわけもなかった。
中学時代、65歳と偽りGSの権威と文通していた
「いじめ……というほど深刻じゃないかもだけど、周囲からは激しくイジられていました。その攻撃から身を守るためには、笑いに変えていくしかない。そこで今の仕事に繋がるような笑いの感覚を身につけていったんだと思います。これは松村邦洋さんも同じことを言っていましたけどね。 その頃の最大の楽しみといったら、グループサウンズ(GS)研究家の黒澤進さんと文通すること。とはいえ中学生なのにGS好きなんて変だと自分でもわかっていたから、年齢は65歳だと偽っていました。なぜか偽名も使っていましたね。“土橋渡”という名前で、名字はのちにヤクルトの監督になった土橋正幸さんから、下の名前はロッテの監督の方から取りました(笑)」 高校卒業後、知人の紹介によって古本屋で働き始めるようになる。時給はわずか630円。お金が底をつきると、土日はテレクラのティッシュ配りもした。そんな息子の生活を心配する両親には、「大丈夫。大学にも行くつもりはあるから」とその場限りの口から出まかせでやり過ごした。 「一応、専門学校に通った時期もあるんです。だけど好きな男の子に告白したら玉砕しちゃって……その日から、一切、学校には足を運ばなくなりました。結局、半年くらいで退学したのかな。そこからは酒浸りの日々で、重度のアル中みたいな生活を送っていて。もう本当に廃人寸前。よくあそこで死ななかったなと今でも思います」