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江戸中期の行程記、中心となった人物とは 西播磨歴史絵巻(11)

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 兵庫県西播磨の山城への探求に加え、周辺の名所・旧跡を併せるとともに、古代から中世を経て江戸時代、近代にかけて、西播磨で名を挙げた人物についても掘り下げていくラジオ番組『山崎整の西播磨歴史絵巻』。第11回のテーマは「一級資料の『中国行程記』」です。  今回からしばらくは、江戸時代中期の様子が知れる「紀行文付き絵図」を基にして、岡山県境の上郡町の船坂峠から西へ、太子町の山田峠に至る西国街道沿いの名所・旧跡や歴史についてお話しましょう。  この絵図は、山口県の萩藩が藩主・毛利氏の参勤交代に役立てるために作られた『行程記』と呼ばれるもので、現在は山口県文書館が23帖を保管しています。全体は3部に分かれ、萩城下から京都市伏見区までの『中国行程記』と、京都三条から東京品川までの『東海道行程記』、それに同じ三条から内陸部を行き、長野県の下諏訪に至る『中山道行程記』があります。  参勤の道中に通過する各城下や社寺、村々の様子を藩主に知ってもらうためと旅情を慰めてもらおうと作成されただけに、街道周辺について克明に記されています。河川や池・道標・一里塚のほか、宿舎の本陣の名前から賃金や距離、古い歌まで紹介しています。萩藩の絵図方・有馬喜惣太が中心となって、江戸中期の1764年ごろに完成させたとされます。  西国街道が走る兵庫県南部の様子も詳しく、本道と分岐する三つの脇街道も別に描いておりまして、相生市から赤穂市坂越までの「赤穂道」、たつの市揖保川町正条から御津町室津までの「室津道」、西宮市から尼崎市までの「大坂道」まであります。江戸中期の街道のこれほど詳細な記録はほかには存在しませんので、第一級の資料でしょう。  この『行程記』を残した中心人物の有馬は、永代家老・福原家の家臣の家に生まれ、幼少の頃から絵を好み、13歳で萩に出て、藩のお抱え絵師・雲谷等直に弟子入りします。この頃、萩藩で『地下上申』という地誌の編さんが計画され、有馬が抜擢されました。1742年には、6代藩主の毛利宗広に随行して藩内を回り、全行程を詳細な絵巻物に仕上げています。  有馬は同じ頃、参勤交代にもお供したほか、独自に歩いて仕上げたのが『行程記』でした。有馬が絵筆を執り、文章は岩崎四郎兵衛が担当したとされます。この文中に、明石城主が「松平但馬守(直泰)」と書かれていることから1764年ごろには完成させたと見られておりまして、有馬が播磨を歩いたのも1760年代と考えられます。  その萩藩の絵図方・有馬喜惣太による『行程記』を詳しく解きほぐし、現代によみがえらせた方がいます。神戸新聞編集委員の大先輩である橘川真一さんです。「『中国行程記』を歩く」との副題を持つ著書『播磨の街道』(2004年、神戸新聞総合出版センター刊)を基に、西播磨に展開された山城を含む歴史絵巻をひもといてまいります。 (文・構成=神戸学院大学客員教授 山崎 整) ※ラジオ関西『山崎整の西播磨歴史絵巻』2020年6月16日放送回より

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