地球への贈り物:論説委員・竹村眞一
クリスマスも近づく季節、コロナ下でもこの時期だけは外出制限が欧州でも緩和されそうだ。クリスマスには3つの謎がある。なぜ冬至から新年の時期なのか?なぜプレゼントを交換するのか?なぜそれをあげる相手が子どもなのか?(オルタナ論説委員=竹村 眞一) 地球への贈り物(1)論説委員・竹村眞一
もともとパレスチナの新興宗教であったキリスト教は、布教のために当時かの地を支配していたローマ帝国で人気を集めていたミトラ教の「太陽信仰」に、キリストの降誕を重ね合わせた。 冬至は「太陽の死と再生」の時。日本でも天照大神を祀る伊勢神宮の参道は、冬至のご来光を拝む方向に設えられ、朝日が五十鈴川にかかる鳥居の正面に昇る。最も大切なものの死と再生を祝う通過儀礼として冬至は必然だった。 だがこの時期は、この世界の生命力が最も減衰する時でもある。後にキリスト教が広がったゲルマン系の北欧など、高緯度地域では太陽がまったく昇らない。闇のなかであの世(死者の世界)と現世のバランスも崩れ、死者に贈り物をしてこの世界の活力を回復する必要がある。プレゼントを贈る相手が子どもなのも、子どもが霊界に近い存在、死者の再生(生まれかわり)だから。 クリスマスは、もともとこうした大きな世界のバランス調整の試みであり、宇宙的な経済活性化の試みだった。プレゼントの交換も、もともとは現世の人々のあいだで閉じてはいない、眼にみえる世界の「外部」への想像力を前提としたものだった。
外部への想像力が、いま別の文脈で鋭く問われている。 コロナ禍で、私たちは人と人の距離だけでなく「地球生態系との距離感」も問われた。新型インフルエンザ、エボラやエイズなど多くの新型感染症の頻発は、渡り鳥の生息地である湿地帯や野生動物の棲む熱帯林の破壊と深い関わりがある。 プラゴミによる海洋汚染、自然資本の調達リスク、地球温暖化・・すべて私たちの社会と経済の「外部」への想像力が問われる問題だ。人間の経済は人間の営みだけで成立しているわけではない。SDGsで強調される「パートナーシップ」も、人間界に閉じたパートナーシップでは限界がある。 私たちは地球の豊かな恵み=Giftを期待しうるほどに、地球にGiftを贈っているだろうか?自然資本の枯渇を言うまえに、自然資本にまっとうな投資をしているだろうか?――こうした事に思いを馳せる大切な通過儀礼として、2020年のクリスマスを迎えたい。