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『ヒロアカ』スピンオフ漫画『ヴィジランテ』が問いかける、“本当のヒーロー”とは?

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リアルサウンド

 『僕のヒーローアカデミア(以下ヒロアカ)』のスピンオフ漫画、『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-(ヴィジランテ)』が面白い。ヒーローとはどういう存在なのかという、本編のテーマを別角度から見事に掘り下げており、その深度は部分的には本編よりも深いと言ってもよいくらいだ。 【画像】『ヴィジランテ』最新9巻  タイトルにある「ヴィジランテ」とは自警団のことだ。『ヒロアカ』世界では、ヒーローとなるには公認の試験に合格せねばならない。国家によってヒーローが半ば公務員のような立場になっているのだが、自警団は公認された組織ではなく、自発的に治安活動を行う者たちを指す。本作は、ヒーローに憧れるも、ヒーロー免許を取得できなかった青年、灰廻航一(コーイチ)の非合法なヒーロー活動を描いている。  『ヒロアカ』本編の主人公たちはヒーローを養成する学校の生徒であり、公的なヒーローを目指している。コーイチはそんな存在になり損ねた「取るに足らない」存在だ。しかし、それゆえに『ヴィジランテ』は『ヒロアカ』本編が拾いきれない問題点を正面から描くことが可能になっている。そして、その問題点は、『ヒロアカ』世界の根幹を成すヒーロー公認制度の本質に迫るものなのだ。  それは、物語の導入部である0話にすでに端的に表れている。『ヴィジランテ』は以下のような会話から始まる。 〈オールマイト「自警団(ヴィジランテ)、それは法に依らず自発的に治安活動を行う者、ヒーローの原点(ルーツ)とも言われているんだ」 相澤消太「だがヒーロー公認制度の確立した社会じゃ、私的な自警行為そのものが犯罪だ。現代においてはせいぜい敵(ヴィラン)の変種といったところだな」〉  自警団はヒーローの原点にもかかわらず、今は犯罪者なのだと言う。『ヴィジランテ』はこの矛盾を徹底的に突いていく。それもコーイチの善なる行動によってだ。 ■人助けしたせいでヒーローになれなかった主人公  本作の主人公、コーイチは『ヒロアカ』本編の主人公デクと同様、ヒーローの頂点オールマイトに憧れる青年だ。彼は、デクと違い、個性を発現させているが、生身でスケートのように滑る「滑走」と言う冴えない個性しか持たない。彼は「親切マン」と称して能力でお年寄りを助けたり、落とし物を拾ったり、ごみ拾いをしたりして社会を良くするように自発的に活動している。  しかし、0話で相澤はこれに対して「これは犯罪だから真似しないように」と生徒たちに呼びかける。誰がどう見ても善人の行動なのに、能力をみだりに使っているから法に抵触するのだ。  『ヒロアカ』世界では、人口の大部分が特殊能力を発現させており、能力を抑制しないと秩序を維持できない。国家に認められたプロヒーローだけが治安維持のために街中で能力を使うことを許されている。それゆえ、あらゆる自警行為は犯罪なのだ。  しかし、ここでヒーローに関する一つの疑問が生じる。試験に合格しさえすればヒーローで、高い志と善なる心を持っていても、試験に落ちたらヒーローではないのか。  コーイチはかつてプロヒーローを目指し、デク達も通う雄英高校の入試を受けようとしていたことが8話で明かされる。しかし、彼は不合格だった。理由は試験当日、川で溺れていた女の子を助けたために遅刻してしまったからだ。皮肉にも、コーイチは人助けをしたせいでヒーローになれなかったのである。  だが、その女の子にとってコーイチはまぎれもなく「ヒーロー」だ。社会に認められずとも、誰かにとってのヒーローにはなれる。法律や制度ではない、ヒーローにとって最も大切なものは「思い」ではないかと本作は訴えるのだ。  こうした主張は、実は『ヒロアカ』本編に登場するヴィランの一人、英雄殺しのステインの考え方に近い。『ヴィジランテ』にもステインと思われるキャラクターが登場するが、コーイチやその師匠ナックルダスターへの共鳴を表明し、上辺だけの覚悟のないヒーローこそ、ヴィランより罪深い「英雄紛い」だと言う(第11話)。彼の言う覚悟のない者とは、つまり「思い」の足りない連中のことだ。  『ヴィジランテ』は、『ヒロアカ』本編では悪役によって提示された価値観を、善性を貫く主人公側に語らせたと言える。こうして、「ヒーローとは何か」という作品世界全体に通底する問いかけを一層深くしているのだ。 ■ヒーロー公認制度の問題点を鋭く指摘  本作は、ヒーローが法律によって制度化された世界のヒーローのありかたの矛盾を突くだけでなく、その国家による管理の危険性や欺瞞についても深い洞察を巡らしている。  先に自警団はヒーローの原点だと書いた。自警団による治安維持をよしとする思想を「自警主義」と言う。これはヒーローコミックスの「原点」アメリカの歴史に深く根差した考え方で、時に法律に依らない暴力をも正義とすることがある。  元々、イギリスの圧政からの解放を目指して新大陸を開拓した人々が切り開いた国であるため、アメリカは何かにつけて「自分のことは自分でやる」という考えを是とする国だ。アメリカ独立戦争もイギリス政府の横暴から自分たちの権利を守るための闘争だった。未開拓の土地には法律など整備されているはずがない。そういう場所だから西部劇に登場するカウボーイなるアウトローたちが活躍し、法に頼らない自衛を行ってきた。アメリカは自分たちの権利を守るためには、暴力に頼ることも辞さないという考えで発展した国なのだ。だからこそ、銃が手放せないし、いまだに民兵が組織される。それを正当化するために、合衆国憲法には個人の武装の権利が明記されている。  本作の12話では、この自警主義を掘り下げ、『ヒロアカ』世界のヒーロー公認制度に疑問を投げかける。ヒーロー研究をしている女子大生、塚内真(本編に登場する塚内直正の妹)がヒーロー公認制度の誕生と自警主義について以下のように説明している。 〈「まず自警主義っていうのは、学問的に言えば社会の混乱期などに市井で自然発生する治安システムなのね。その多くは過渡的な存在であり、社会の安定と共に公的なシステムに吸収され、あるいは排除される」〉  『ヒロアカ』世界でも個性発現の黎明期に自警団が生まれた。そして、公認制度ができてそのシステムに吸収されたわけだ。では、自警団のうち、どの程度がプロのヒーローとして認可されたのか。真は説明を続ける。 〈「当時、いわゆる“ロードアイランド新州法“の適用対象となったヴィジランテは189名。その中で正式なヒーローとして認められた人はどれくらいいたと思う? 答えはわずか7名。ほとんどのヴィジランテは敵性犯罪者としてヴィランに分類されたの」〉  真は、ヒーロー公認制度の真の狙いは「ヒーローの認可ではなくヴィランの定義にあったとも言われている」と語る。誰に個性を使うことを許すのかを恣意的に分類し、許可しなかった者たちの活動を制限し管理することが目的だったと言うのだ。  公認制度ということは、何らかの価値基準で優劣を決めなければならない。そこから恣意性を完全に排除することは極めて困難だろう。この世界においてヒーローという存在は、必ずしも公平な存在ではないのかもしれない。現にコーイチのような善性の塊のような人物でも犯罪者扱いなのだ。  本作が感動的なのは、それでも自分の信念を曲げない主人公の意志の強さであり、そんなコーイチをヒーローと認めてくれる人々がいるからだ。コーイチの師匠となるナックルダスターは、コーイチは最初から真の英雄だと言い、コーイチと活動をともにするポップ☆ステップも自分にとっての本当のヒーローだと思っている。  『ヴィジランテ』は真のヒーローとは何かを問う。法律や制度ではない、どんな困難にあっても善性を保てる人間こそが本当のヒーローだと本作は描いている。本編のテーマを異なる立場から描いてみせ、本編の楽しみ方を広げてくれる。理想的なスピンオフ作品だ。

杉本穂高

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