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勇敢なフェミニスト、エミリー・ラタコウスキーが見せる「ありのままの姿」

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ハーパーズ バザー・オンライン

自らの体を使ってジェンダーの既成概念に一石を投じるエミリー・ラタコウスキー。「超女っぽい」という言葉に感じた疑問や、すべての女性が持つべき威厳と尊敬について綴ってくれた。 【写真】エミリー・ラタコウスキーの美ボディ全開おしゃれスナップ32連発

「現代のフェミニスト」になったきっかけとは?

カリフォルニア大学の1年生だったとき、ジェンダー研究のクラスを取った私はそのクラスに夢中になった。このクラスはクィア理論、スライディングスケール上にあるセクシュアリティの概念、ジェンダーとセクシュアリティの重要な違いなど、それまで触れることのなかった多くの考えに初めて触れる機会を与えてくれた。当時、私は自分を根っからのフェミニストだと考えていて、ウーマンリブやフェミニストレトリックなどについて多くのことを学ぶのだと意気込んでこのクラスを履修した。自分がいかにジェンダーについて理解していなかったかにショックを受け、女性としての自分のアイデンティティを研究し始めた。 話を進める前に、明白なことを述べておこう。私はシスの白人女性である。私は自分が異性愛を規範とする人間として受ける特権を十分に理解しており、自分のアイデンティティが私にとっていくつかの物事を容易にしてこなかったかのように振る舞うふりはしない。それはそれとして、この機会を利用して女性としての自分の経験について話したい。2年前の夏、友人と彼女の女友だちと休暇を過ごしていたとき、友人がなにげなく私のことを「超女っぽいよね(Hyperfemme)」とコメントした。 私は少し混乱した。なぜなら多くの点で、おそらく誰でもそう感じたであろうが、彼女のコメントは私のアイデンティティを単純化しすぎていると感じたからだ。日々の暮らしの中で、私は女らしいとか男らしいとかでなく、ただの自分としか意識していなかった。私は彼女の見解に驚かされ、突然自我の意識を感じさせられた。私が「全然女っぽくないときもあるよ。何言ってるの?」と返すと、彼女はあきれた顔をした。 その夜、私は女性らしさとは何を意味するのか、なぜ友人の言葉を何だか不快に感じたのかを考えた。実際のところ、私は女性らしくあることが好きなのだと思った。それは幼いころに始まっていた。私が12歳か13歳だったころ、レースのブラジャーや、ツヤツヤのリップグロスを試してみたいという明確な欲求を持っていたことを覚えている。楽しくてワクワクした。 もちろん、女の子であることの意味を探る私の幼いころの冒険のほとんどは女性蔑視文化の影響を強く受けていたことは確かだ。また、セクシーであり続ける方法の多くは女性蔑視に大きく影響されているとも確信している。でも自分らしくあることは気持ちがいいし、それは私の選択だろう。フェミニズムとはすなわち選択ではないだろうか?ものすごく恥ずかしいと感じさせられた数えきれないほどの経験にもかかわらず、ときにはセクシーさを実験的に用いることにゾッとすることさえあるのに、当時は自分の女性的な面で遊ぶのが気持ちよかった。今でもそうだ。

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