東京の「五輪スーパーファン」 世界のおもてなしに意欲
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【1月12日 AFP】石川恭子(Kyoko Ishikawa)さん(51)は過去30年間、すべての夏季五輪に足を運び、笛を吹き、旗を振り続けてきた。自分の住む東京で開催される大会を見逃すことなどありえない。 新型コロナウイルスの感染拡大や大会費用の急騰で、今年は開催すべきでないと考える日本人が多いなか、石川さんは世界をおもてなしする日が待ちきれない。 日の丸の飾りが付いた伝統的な衣装や鉢巻きを身に着け、さまざまな五輪会場でおなじみの顔となっている石川さんは「オリンピックって驚くことばかり」と笑う。 「ダイバーシティー(多様性)の力、ダイバーシティーのエネルギーかな。オリンピックってせいぜい3週間。そんな短期間でも全世界がひとつになる姿が見られる」と、石川さんはAFPに語った。 日本は新型コロナ流行の第3波に苦しみ、菅義偉(Yoshihide Suga)首相は1都3県を対象に緊急事態を1月7日に再宣言。NHKが実施した最近の世論調査では、1年延期された東京五輪の再延期または完全な中止を求め、国民の大多数が今年の開催に反対している。 しかし4年に一度、熱狂的な五輪のスーパーファンに変身するIT企業社長の石川さん。彼女の心は揺るがない。 ■「オリンピックおじさん」 1992年、スペインのバルセロナにバックパック旅行したとき五輪に取りつかれた。開会式のチケットを安く入手。その雰囲気にのみ込まれた。 翌日、同じ日本人の山田直稔(Naotoshi Yamada)さんとの出会いに恵まれた。1964年の東京大会以来すべての五輪を訪れていた山田さんは彼女の師匠となった。 「オリンピックおじさん」と呼ばれた山田さんは、トレードマークの金色のシルクハットをかぶり、石川さんと連れだってその後すべての夏季五輪を訪れ、友情の輪を広げた。だが山田さんは2019年に92歳で亡くなり、2度目の東京五輪を観戦する夢がついえた。 「とても残念です。東京大会が山田さんのオリンピックファンとしての人生の集大成になるはずでしたから」と石川さんは悔やむ。「レガシーと精神を受け継ぎたい。もちろん自分は山田さんにはなれない…バトンを渡されても、役割は違うのです」 東京が2020年大会の開催地に選ばれたとき大喜びしたが、国内でのチケット購入が難しくなると分かっていた。 第1次抽選で、石川さんは家族とともにそれぞれ1人当たりの上限60枚を申し込んだが、ことごとく外れた。第2次抽選で手にしたのは、全員でたった1枚。レスリングだった。 その後、国内で販売されたチケットの18パーセントが払い戻されることとなったため、石川さんはもっと入手できると確信している。 とはいえ、一番の心配は大会自体が開催されない可能性だ。 ■「希望のシンボル」 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(Tokyo Organising Committee of the Olympic and Paralympic Games)は昨年12月、安全な開催のための感染症対策を発表。会場で声を出す応援の禁止から、ファンが接触追跡アプリを携帯電話にダウンロードすることまで幅広い。 石川さんは、必要ならば観客数の削減、さらには海外からの観客無しでも大会を開催すべきだと主張する。 石川さんは、山田さんと自分にとって五輪参加の目的は、応援することだけではなく、「最大の目的は、愛と友情、そしてほほえみを分かち合うこと」だという。 世界中からの観客不在の開催で五輪の価値は「50パーセント、あるいはそれ以下」と言う石川さん。「それでも、無いよりはまし」と続けた。 石川さんは、日程変更された聖火リレーに参加する予定だ。チケット、Tシャツ、キーホルダー、プログラムなど、五輪の記念品コレクションに新たなアイテムが加わる。 たとえ大会が完全に中止となっても、自分の五輪ファン人生の「象徴的な思い出」として残る、とプラス思考だ。 だが「必ず大会はある」と言い切った。「それが希望のシンボルとなる。私たちが戦い続けていることのあかし、人類の希望となる」 映像は2020年12月に取材したもの。(c)AFPBB News