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我が道を歩んだ22年。自分を貫き通したビンス・カーター【宮地陽子コラム vol.5】

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シドニー五輪のビンス・カーターというと、フランス代表のセンター、フレデリック・ワイスを跳び越えて決めたダンクが有名だが、このオリンピックでもらった金メダルをすぐに母親に渡しに行き、涙を流したことを覚えている人はどれだけいるだろうか? オリンピック直後の2000年11月、当時、カーターが所属していたトロント・ラプターズの試合前に、何人かの記者で囲み取材をしたときに、その涙の理由について聞いたことがあった。1998年、ブルズを引退したマイケル・ジョーダンと入れ替わるようにルーキーとしてNBAに入ってきたカーターのことは、先月正式に引退を発表するまでの22年間で何度か取材する機会があったが、中でもこのときの取材は印象的で、記憶に残っている。 なぜ印象的だったかというと、NBA選手としてのキャリアが順調だった時期なのに、受け答えがどこか憂いを帯びていたからだった。

人気絶頂期にあった否定的な声

この頃のカーターは、とにかく人気絶頂期にあった。前のシーズンのオールスターに行われたダンクコンテストでは、それまで見たことがないダンクを連発し、その場を支配して優勝。シドニー五輪でもアメリカ代表の一員として活躍し、金メダルを勝ち取った。それだけの実績をあげ、ラプターズのエースと成長してプロ3シーズン目を迎えていたのだから、自信たっぷり、意気揚々でもおかしくなかった。 実際、言葉では前向きなことも多く語っていたのだが、話を聞き終わって、彼はこの状態をあまり楽しめていないのではないかと感じた。 金メダルを母親に渡しに行って涙を流したときのことについて、当時のカーターはこう語っていた。

「母にとって、金メダルがそれだけの意味を持っていたんだ。だからぼくも嬉しかった。まわり中の人たちが否定的なことを広めようとしても、それだけの価値はあった。まだ若いのに最初の金メダルをとることができて、それを母といっしょに経験できたのだからね」 「(まわりから批判されることを聞くのは)母にとってはつらい経験だったと思う。もちろん、母にとって息子は天使なわけで、贔屓目で見ているからね。母にとってつらい経験で、ときにはそのことを顔に出して、まわりにわからせていた。でもぼくはいつも母に『怒ることもないし、気にすることもない』と言っていた。ぼくが気にしていないのだから、気にしなくていいよってね」