どこで道を間違えたのか? 時代を作ったホンダ・オデッセイが消滅に至るまでの歴史
惜しまれながらも歴史に幕を閉じた歴代オデッセイを振り返る
1990年代にエスティマとともにミニバンブームを牽引し、四半世紀に渡り“走れるミニバン”として独自のポジションを確固たるものにしたオデッセイが歴史に幕を閉じることになった。初代モデルでは大ヒット映画のアダムスファミリーをCM起用したり、ハイパワーなV6エンジンの搭載、さらにはステーションワゴンのようなスタンスの3&4代目モデルの登場など、これまでさまざまなトピックスを提供してくれたオデッセイの歴代モデルを振り返りたい。 【画像】背の低い箱に収まった3代目のRB型オデッセイのシャコタンぶりを見る
43万台の大ヒットを記録!「初代オデッセイ」
初代オデッセイは1994年10月、ホンダの一大戦略となったホンダのクリエイティブ・ムーバーの第一弾として、「家族の幸せを」テーマにデビューした。クリエイティブムーバーシリーズはその後、1995年にCR-V、1996年にステップワゴンとS-MXが続いていくことになる。当時の純ホンダ車にはRV(レジャービーグル)系の車種はなく、そこを補うべく登場したのである。 ところが、企画したのはいいもののホンダの生産拠点では背の高いRV用、あるいはスライドドア車に対応する生産ラインを持っていなかった。そのため、苦肉の策としてホンダ狭山工場のアコード用の生産ラインを使うことになり、じつはそこで全高が決まったという話はあまりにも有名だ。 しかし制限のある全高ではミニバンならではの室内空間は取りにくい。そこでミニバンとしての室内高、つまり子どもが車内で立って歩ける室内高1200mmを確保すべく、現在のホンダ車では当たり前になった低床パッケージが、ある意味逆転の発想で誕生したのである。その結果、初代のボディサイズは全長4750mm×全幅1770mm×全高1645~1660mmとなった。ちなみに当初はシートレイアウトが2-2-2席の6人乗りが基本で、2列目ベンチシート仕様を追加したことで一気にブレークした。 実際、初代オデッセイユーザーの約70%が2列目ベンチシートで売れていたという。そして、当時としては画期的な、5代目まで貫かれた3列目席を床下にスマートに格納するパッケージングとその機構が、初代オデッセイによって確立されたのである。理由は簡単で「シートだらけの車内はカッコ悪い」という開発陣の想いからだったという。 そうした新しさは、まだミニバンブームの前夜という時代のなかで、初代オデッセイが日本の多人数乗用車として大ヒット作となったのは当然で、1999年に2代目に引き継がれるまでの販売台数は43万台以上を記録。多くのファミリーユーザーに愛されたのである。 初代のパワートレーンは2.2L直4 2.3Lと3L V6を揃え、なんと走りにこだわるあまり贅沢にもサスペンションは前後ダブルウィッシュボーンが奢られていた。つまり、単なるファミリーミニバン、多人数乗車ではなく、ホンダらしい走りにもこだわった“走り好きのパパ”も納得の走行性能を備えていたことになる。