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被爆しつつも再生するクスノキ…今も伝える悲惨さ

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西日本新聞

 長崎平和推進協会の写真資料調査部会に所属する堀田武弘さんは戦後まもなくの地元紙記事を目にした。廃虚となった被爆後の長崎市内を撮った12枚組の写真の存在。何を語るのか-。 【写真】被爆後の山王神社のクスノキ     ×    ×  原爆の熱線で幹が裂かれても、黒焦げになっても、木はやがて新芽を吹いた。  爆心地から800メートルの山王神社(長崎市坂本)にある被爆クスノキ。樹齢500年以上とされる2本を撮った写真を掲載する絵はがき「甦った山王社の神木」は、被爆しつつも再生する巨木の姿に、撮影者が長崎の街が復興することを重ねたのか。  長崎原爆が投下された当日、神社がある一帯は焦土と化した。原子野にクスノキだけがぽつんと立っているのが見えたという。  当時3歳だった舩本勝之助宮司(78)は母や姉に連れられて近くの防空壕(ごう)に逃げ込み、命を取り留めた。神社周辺の惨状の記憶はない。母と姉も「忘れた」と述べ、被爆直後の様子を話そうとはしなかった。  境内に残ったクスノキは、戦後幼かった勝之助さんにとって、友だちと一緒によじ登った遊び場だった。跡形が消えた神社を再建しようと、戦後に復員した当時宮司で父親の長吉さん(故人)は馬車を引き、生計を立てて神殿を建てた。  神社の再建と、長崎の街の復興を見守ったクスノキも昔と比べると、葉や枝の数が減ったという。それでもなお芽吹き続ける。  「クスノキは母や姉のように語れなかった人に代わり、今も原爆の悲惨さを伝え続けているように感じる。これからも長く生きてほしい」と勝之助さんは語る。 ※記事・写真は2020年02月02日時点のものです

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