古里・千葉県を離れ平成筑豊鉄道の運転士に、モットーは安全運転…岐路に立つ路線の存続へ「努力したい」
平成筑豊鉄道金田駅(福岡県福智町)にある車両基地に並んだ列車に、ひときわ目を引く花柄の車体が止まっていた。画家と地元の子どもたちが協力して、町の名所、名産品を描いた「スーパーハッピー号」だ。「走っていると、沿線の人たちが手を振ってくれるんです」。運転士、麻生真成さん(46)が笑顔で紹介した。 【写真】福岡県みやこ町を走る平成筑豊鉄道の列車
千葉県に住んでいた幼稚園の頃から乗り物に興味を持ち、もらったお年玉で鉄道に乗るのを楽しみにしていたという。自分で運転したいと思うようになり、高校を卒業後、いすみ鉄道(千葉県大多喜町)に就職。入社後は車両の整備などを経験し、20歳で念願の運転士となった。房総半島の里山を縫うように走る路線。都市部で生まれ育っただけに、車窓から見える四季の景色の移ろいに「緊張感はすごかったが、ワクワクした」と振り返る。
転職を考えたのは40歳の手前。運行管理や後輩の養成といった仕事を任されるようになり、運転台で過ごす時間が減ってきたのがきっかけだった。運転士の仕事にやりがいを感じていただけに、思い切って環境を変える決断をした。
新たな職場を探す中、現在の会社と結びつけてくれたのは福岡県・筑豊地方に残る炭鉱跡だった。元々、旅行好きで歴史好き。幕末の志士を調べる中で、現在まで続く三菱グループの礎を築いた岩崎弥太郎のことを調べ始め、長崎県で行った炭鉱経営にも興味を持った。
ほかの炭鉱にも足を運ぶようになり、筑豊にも度々訪問。平成筑豊鉄道を利用しながら資料館や史跡を巡り、街が元気だった頃の面影を探りながら、「昔はこうだったのかな」と想像するのが楽しかった。
同社が出した運転士の求人情報を見つけ、「働くなら雰囲気を知っている土地がいい」と応募。2018年に入社し、福岡県直方市に移住した。前の会社と比べると距離が長く、子どもからお年寄りまで客層も幅広いという。「年配の方の荷物を自らすすんで運んでくれたりと、困っていると助けてくれる人が多い。運転士として助けられている」と話す。