政党として生き残れるのか――最大危機の社民党 77年間の栄枯盛衰と参院選への秘策
再び連立政権も8カ月で離脱
その後も低空飛行を続ける社民党が、久しぶりに存在感を見せたのが2009年夏。衆院選で民主党が大勝するも、参議院では過半数に達していなかったことから、国民新党と社民党との連立政権を発足させたのだ。福島党首は消費者・少子化担当大臣として初入閣した。
ところが、米軍の沖縄・普天間飛行場の移設をめぐり、鳩山政権が当初掲げていた「県外への移設」の方針を変更し、辺野古への移設を決めたことに反発。福島氏は「筋を通す」として閣内で反対し、大臣を罷免された。結局、社民党はわずか8カ月余りで連立から離脱した。 当時、社民党の政審会長だった阿部知子衆院議員が振り返る。 「私は与党間の調整担当として次善の策を考えていました。外務省や防衛省も知恵を絞っていました。県外移設は難しいけど、何とか沖縄のかたの負担を軽減できないかと。政権に残って、より良い方向に進めたかったのですが……」 この連立離脱をきっかけに、社民党の中心議員だった辻元清美氏が離党。阿部氏も12年の衆院選を前に党を離れた。
まさかの党首落選
13年には吉田忠智参院議員が党首に就任し、立て直しを図る。しかし、16年の参院選で自身が落選。次の参院選で何とか雪辱を果たすものの、20年末に吉川元・衆院議員と離党し、立憲民主党に合流した。 2人の離党直前に1万3千人いた社民党員は、その後の1年間で7810人に激減。約450人いた地方議員も現在は250人だ。
参院選に向けたあの手この手
規模が縮小するなか、何としても参院選で「比例区の得票率2%」を達成し、存続したい社民党。一人でも多くの候補者を出し、票をコツコツと積み上げることが重要だとして、東京や福岡などの選挙区で4人、比例区で8人を擁立する(推薦含む)。前回7人からの大幅増だ。 候補者の年代は幅広い。被選挙権を得たばかりの30歳のバイセクシャル当事者や、1996年の社会党最後の委員長選挙に出た経験をもつ79歳の前市長、さらに87歳の元衆院議員もいる。かつて社会党の村山路線に反発して結党された新社会党の女性も、社民党の比例名簿に名を連ねる予定だ。 「とにかく、やれることは何でもやる。多くの候補者を集めたことで各年代へのアプローチが可能になった」と福島党首の鼻息は荒い。