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【もう君はいない】半年前「コロナ禍」を知らずに逝った妻。笑顔と愛が消えた家で一人戦う日々

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サライ.jp

取材・文/沢木文 結婚25年の銀婚式を迎えるころに、夫にとって妻は“自分の分身”になっている。本連載では、『不倫女子のリアル』(小学館新書)などの著書がある沢木文が、妻と突然の別れを経験した男性にインタビューし、彼らの悲しみの本質をひも解いていく。 * * *

健康的な制服姿に一目ぼれした

お話を伺ったのは、皆川憲明さん(仮名・66歳・会社員)。 2歳年下の妻がクモ膜下出血で64歳の生涯を閉じたのは半年前のこと。 「私は本当に妻のことを愛していたんです。2人の息子たちにも、『お父さんはホントにお母さんが好きなんだね』と呆れられるくらい。彼女が風呂場で倒れた日のことはよく覚えていて、あの時から自分の半身も死んだような気持ち。母親からも『時間が薬になるから』と言われるけれど、悲しみなんて時間の経過とともに増幅していくだけ」 妻と出会ったのは、最初に勤めた地元の信用金庫の外回り先だった。 「地元の北関東にある国立大学を出て、地元の信金に採用された。当時、自転車に乗って得意先を回って、地域の人から『シンキンさん』なんて呼ばれ、御用聞きみたいなことをしていた。ある印刷会社の事務にいたのが、妻だった。色が白くて、ふっくらとしていて、笑顔がかわいくて……健康的な制服姿に一目ぼれしてからデートに行けるまで2年かかったよ」 憲明さんは整った顔の美男子だ。昭和時代なら“ソース顔”と言われていただろう。背が高くて筋肉質で清潔感がある。ややカールした癖ッ毛のニュアンスもよく、ミケランジェロのダビデ像に似ている。 「モテたとは思う。でも私は自分から積極的に言い寄ってくる女性が嫌いだった。何かを奪われそうだし、不潔な感じがする。私の世代はオクテが多いから、私のような人は多いんじゃないかな」

姿を見かけるだけで幸せだった日々。4年間、一筋に思い続け、結婚したきっかけは

妻は全く違った。男性を明らかに回避していた。当時22歳の憲明さんが1~2週間に1回、彼女が勤務する印刷会社に行っても、なるべく接点を持たないようにしていた。 「地元の会社のお姉さんからデートに誘われていたから、彼女の反応が心に残った。聞けば、3姉妹の一番下で、お父さんを早くに亡くしていたこともあったんだよね。地元の商業高校を卒業後、その印刷会社で経理や事務を担当していた。男性恐怖症になったのは、新卒のときに職人さんなど男性にからかわれて、とても嫌な思いをしたから。私に対しても『チャラチャラしている若い男』くらいに思っていたんだそう」 憲明さんが一日千秋の思いで、印刷会社にルート営業に行き、彼女の姿を横目でチラッと見る。それだけで幸福だったという。オクテ同士の恋愛は、どのように進展したのだろうか。 「社長の奥さんが、『シンキンさん、あなたステディな人、いるの? いないんだったら、ほら、あの子どう?』と耳打ちしてくれた。『2人で行ってきなさいよ』とスケートリンクのチケットをもらって、行ったのが初デート」 手を握るどころか、会話もできない2人。スケートは、憲明さんはからっきしダメだが、妻は上手だった。 「ふだんもじもじしているのに、生き生きとキレイに滑るんだよ。彼女のふっくらした手と、赤い頬が今でも思い出せる。私が転びそうになると、抱きかかえてくれて、手をとって滑り方を教えてくれた。あれは夢のような時間だったと思う」 中華料理店でラーメンを食べ、ビールを飲み、その日は17時に解散。 「いつまでも、一緒にいたいし、抱きしめたいけれど、きっと彼女はそれを嫌がる。それからキスをするまで2年かかった。26歳のときに、私に縁談話が持ち上がり、彼女のことを諦めようと思ったら、彼女が私の手を取って、引き留めてくれた」 今まで、押しとどめていただけに、それからの進展はダムが決壊したかのように怒涛だった。 「4年間も我慢していたからね。彼女以外考えられなかったから、そういうお店にも行かず、ひたすら彼女のことを想像していた。その体が目の前にあるというのは、衝撃ともいえることだった。私は大学時代に年上の恋人がいたこともあった。初めての彼女と、関係を作っていくのは、大変だったけど愛しさが募っていった」 その後、すぐに結婚し、夢のように楽しい30年間の結婚生活が始まった。 最愛の妻を幸せにするために、夜逃げ同然で上京する……【後編に続きます】

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