デビット伊東×能子「経営するラーメン店をコロナが直撃。店を手放し、貯金0で真鶴に移住したわけ」〈前編〉
お笑いトリオ「B21スペシャル」で一世を風靡し、現在はラーメン実業家としても活動するデビット伊東さん。一時は海外にも店舗を構えるほどの人気でしたが、コロナが猛威を振るう2020年、店の大半を畳み、神奈川県の小さな港町・真鶴への移住を決断しました。そのきっかけを妻・能子(たかこ)さんとともに振り返ります(構成=平林理恵 撮影=本社写真部) ラーメンを作るデビット伊東さんと能子さん * * * * * * * ◆きっかけはテレビ番組の企画 デビット 20年前、お笑いタレントだった僕が、テレビ番組の企画がきっかけでラーメン店「でびっと」の経営を始めたときのこと覚えてる? 能子 うん。話を聞かされて、「やれば?」と言ったことは覚えてる。あのときはまだ結婚していなかったけれど。 デビット そう。僕が静岡のローカル番組のMCを担当していた縁で、焼津でエステティシャンとして働いていた能子さんと知り合ったのが1994年。すぐに遠距離でつき合い始めたよね。 結婚したのは、ラーメン店が軌道に乗って、チェーンを拡大している最中だった。芸人から役者になるときも、ラーメン店に専念することを決めたときも、その後また芸能界に復帰したときも、能子さんはいつも明るく「やればいいんじゃない」って言ってくれた。 能子 芸能界は私にはわからない世界だったから、あれをやるな、これをやるなと縛っちゃいけない、と思ったの。仕事のつき合いもあっただろうし、女性の友達もたくさんいただろうけど、そこに口を出したことはありません。不安はあったけれど。 デビット そうだったね。それに比べて、僕はホントにひどかった。自分でもそう思うもん。 能子 いっしょにいる時間、全然なかったしね。(笑)
◆ロックダウンで海外の店が回らなくなって デビット 夜は仕事のつき合いで、六本木を飲み歩くんですよ。振り返ると、あの時間はホントに意味がなかったなあ。しかも、ラーメン店の経営に巻き込んじゃったよね。能子さんには社長になってもらって。 能子 そう! 「ちょっと手伝って」が得意文句だから。でも、全然ちょっとじゃない(笑)。社長ともなると、うまくいかなかったら私が背負わなくちゃいけないのに。 デビット あのときは、申し訳ないなあと思っていたよ。能子さんはずっと店舗のサポートをしてくれていたけど、お金に関する不安はいっさい僕に言わなかったね。 能子 ラーメン店は、とにかく従業員を守ることが第一というか、それがお店自体のコンセプトになっていたでしょう。だからデビさんは、そのために必死に考えて動いているんだろうな、と信じてた。 デビット 大変な時期はもちろんあったけど、経営的に厳しい状態に追い込まれたことは一度もなかった。芸能人の店って、話題性でブームになり、ブームが去ったら閉店というパターンが多いでしょう。でも、それだとスタッフを守れない。 店舗数を増やすことは、収益を上げるためというより、育ってきたスタッフに力を発揮する場を与えるために必要だった。だから、店として拡大路線はとるんだけど、危ないと思ったら大失敗する前にすぐ店を閉めて、次の展開につなげる。そんな感じで無理せず拡大した結果、海外に4店舗、国内に6店舗になっていた。 能子 そんなときに、コロナが世界中で流行し始めたんだよね。 デビット そう。正直、あのときが20年間で一番きつかった。日本で飲食業界がストップしたのは2020年の春だけど、それより前に海外はロックダウンしていたから、まず海外の店が回らなくなって。さあ、どうやって生きていくか。スタッフは海外を含めて50人ほど。どうすれば全員の雇用が守れるのか、ずっと考えていました。 能子 結局、海外の店舗はすぐに全部畳んで、国内は3店舗だけ残して。誰よりも早かったよね、デビさんのあのときの対応。