着物の需要減少に危機感を抱いた3代目 家族経営の染工房が開発したスカーフがパリへ
18年間の下積みで「一人前」に
父に付いて仕事を覚えますが、預かり品の反物に触れることは許されませんでした。「道具の位置を整えたり、手入れをしたりするところからスタートしました。例えば、ハケの洗浄は染料の残りがないよう確認するところまでがセットです。引き染めの仕事を体系的に覚える必要がありました」 色作りや染め方などは、先代の手もとを見て質問を繰り返し、習得しました。「当時はまだ、同じ色で複数枚を染める仕事がありました。父が染めた1枚目を見本に、私が2枚目を染めるというチャレンジもできました」 中村さんが「ようやく一人前になれた」と実感したのは、家業に入って18年後だったといいます。「染めの正解は着物作家さんの頭のなかにしかありません。反物は預かり品で失敗できないため、不安と安堵の繰り返しでした」
称賛と現実とのギャップ
自信がついてきた2020年ごろ、中村さんは外部との交流がほぼないことに気づきました。「家と工房が同じ建物で、指示書はお客様(着物作家)から渡されるため、外出の機会もありませんでした」 空いた時間に着物作家が出展する着物展示会を訪れ、自身が染めた着物を身に付けた人に初めて出会います。「反物は染めて終わりでなく、着る人がいて初めて完成すると実感しました。一般の方に自身の作品を紹介する作家さんを見て、『私も作品を作りたい』と思ったんです」 着物の展示会や着物作家の個展に積極的に赴くようになると、新宿区共催のイベントで引き染めを披露する話が舞い込みました。 中村さんは「複雑な気持ちだった」といいます。 「引き染めのデモンストレーションをすると『伝統技術を現代に伝えてくれてありがとう』という言葉をかけていただきました。でも、染めの仕事は実入りがいいとはいえません。皆さんの称賛に見合った生活ができておらず、着物需要は下火で仕事も減っていました」
ニーズが普段着から晴れ着に
矢野経済研究所の調査によると、日本の呉服市場は2240億円(2023年)です。2019年まで右肩下がりで、コロナ禍の2020年で急落。その後は回復基調ですが、2023年時点でもコロナ前の水準には及びません。 中村さんによると、以前は呉服屋や問屋からの発注もありましたが、やがて個人の着物作家からの仕事のみになりました。複数枚を一度に染める依頼もほとんどありません。 「以前はアウトレット品にも普段着としてのニーズがあった」といいます。染めを失敗してにじんだり、色ムラができたりした反物でも、目立たないものなら、着物作家の常連客に普段着用として売れたそうです。 しかし、和装需要の落ち込みに伴い、着物は普段着から「晴れ着」にシフト。高級化も進み、着物レンタルサービスが主流になりました。手ごろな普段着が少なくなるにつれて、染めの仕事にも響きました。 「仕事はピーク時の約半分まで減りました。かつては親族外の職人もいましたが、いまは家族のみです。家業を残すには新規取引先を増やしたり、下請け価格を上げたりする必要がありました」