荒れ狂う大海原で狂気へ堕ちていく 男たちを描く傑作ノンフィクション(レビュー)
1968年に、ヨットで史上初の単独無寄港無補給世界一周に挑んだ9人の男がいた。英サンデータイムズ紙が主催した「ゴールデン・グローブ・レース」という大会の参加者たちで、いまちょうど開催中の世界一周レース「ヴァンデ・グローブ」の原点と呼べるかもしれない。 現代のハイテクヨットでも無寄港での達成は至難の業。当時は通信衛星もGPSもなく、頼りは古典的な六分儀。太陽と星の位置から現在位置を測定した。無線も届いたり届かなかったり。じつは同年にアポロ8号が有人月周回を達成している。日本人が初めて南極点に到達したのもこの年。並べてみると時代性や冒険感覚が想像できるかもしれない。 イギリスから大西洋を南下して、喜望峰を回ったらひたすら東へ。インド洋を渡り、ニュージーランドをかすめて太平洋へ。ホーン岬を越えて再び北上して戻ってくる。そんなルート上の難関は南氷洋。緯度が高いほど追い風を得られるが、海は荒れる。「吠える四〇度線」「狂う五〇度線」と呼ばれているそうだ。 鈍足の旧式ヨットで船出したノックス=ジョンストン、フランスの国民的英雄であるモワテシエ、航海機器ビジネスの成功を目論むクロウハーストなど、参加者の顔ぶれは多彩。当時の新聞報道、航海日誌、交信記録などを渉猟し、それぞれの参加者が、どう準備をして、どんな航海をしたかが詳述される。 著者は執筆に際して木造ヨットでの単独大西洋横断に挑戦し、自艇を沈没させてしまったそうだ。ハードな体験のおかげか、航海シーンは臨場感たっぷり。小さな船は暴風や荒波に打ちのめされる。次から次に危機と直面するヨットマンの心理状態が読みどころ。〈先へ先へと進むほど、このレースは狂気の沙汰だと思えてくる〉。 優勝候補の信じがたい行動と別の男による不正行為の顛末は、へたな小説よりドラマチック。 [レビュアー]篠原知存(ライター) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
新潮社