映画『BLUE/ブルー』:ボクシング歴30年超の吉田恵輔監督、「挑戦者の青コーナー」から立ち向かう男たちを熱く描く
渡邊 玲子
魅力的なボクシング映画は数あれど、監督自ら拳闘シーンの殺陣指導まで担当した映画は、さすがに聞いたことがない。リアルさをとことん追求し、汗の粒まで飛んできそうな映画『BLUE/ブルー』のメガホンを取った吉田恵輔監督に、4歳で夢見た映画監督の仕事と、少年時代から続けてきたボクシングに注ぐ深い愛情を語ってもらった。(※吉の正式表記は「つちよし」)
「いつかボクシング映画を撮りたいという思いがあって、ずっと自分の中で企画を温めていた」という吉田監督。自身もボクシングを30年以上続けている筋金入りのボクサーだ。中学ではバレーボール部に所属したものの、2年生の時、チームワークに嫌気がさして部活をさぼり、電車で隣町のボクシングジムに通い始めた。 プロボクサーを目指したことは一度もないという。驚くことにその理由は、「4歳から映画監督になるのが夢だったから」。 「幼稚園の時にジャッキー・チェンに憧れて、映画監督になると決めたんです。小学生の時に『映画監督になるには』という本を読んだら、専門学校か大学に入って映画の勉強をしろ、それまではとにかく遊んで人生経験を積んでいた方がいい、みたいなことが書いてあった。いま思えば都合よく解釈しただけなのかもしれないけど(笑)、学校の勉強はしなくてもいいと自分でルールを作って、女遊びもやんちゃなことも、すべて映画監督になるための近道だと思って夢中でやっていました」
映画とボクシングに捧げた青春
それほどの映画好きでありながら、そのことは周囲に隠していたという。 「不良文化の中にいたから、映画オタクだって知られたら周りにダサいと思われるし、マイナーな映画の話をすると、みんな露骨に嫌がるんですよ。だからその頃は映画の話は誰にもしないで、こっそり観ていましたね」 高校を卒業して映像の専門学校へと進んだ後、照明スタッフとして塚本晋也監督の現場に入る。それと並行して、自主制作の作品を「若手監督の登竜門」として知られるPFF(ぴあフィルムフェスティバル)などの映画賞に応募するようになったが、なかなか結果が出なかったそうだ。 「自分では『初監督作品でいきなりノミネートされちゃいました』みたいな部類の人間だと思っていたのに、一次選考すら通らないような状態。もともと人をまとめる素質はあったと思うけど、“作家”としては決して天才肌と言えるようなタイプではなかった。そういう意味では『自分は負けてるなあ』と思いながらずっと生きてきたような気がします」 だが、賞には引っ掛からないと思っていた自主映画作品が、ゆうばり映画祭でグランプリに輝く。直後に『机のなかみ』(07)で商業映画デビューを果たして以降は、自分の撮りたいテーマをエンタテインメントへと昇華させ、コンスタントに作品を発表してきた。はたから見ると、順調に勝ち続けているように見えるが、「周りに評価されればされるほど、どこか心を閉ざしていた部分もあった」という。 「もちろんデビューする前の自分はまさかこんなポジションまで行けるとは夢にも思ってなかったし、いつ死んでも『ありがとうございました!』って言えるくらいのところにいる自覚はある。でも、結局はどこの階段を登っていても、『キツいのは変わんねえなあ』とも思うんですよ。デビューできない時にはデビューできないつらさがあったけど、いざデビューしたらしたで不安になるし、さらにそこから積み上げれば積み上げた分だけ、日々不安と絶望を感じている。いまも新しい脚本を書かなきゃいけなくて、本当に面白いのかなあと自問自答しながら書いています」