五木ひろし「理想に近づくために」歌い続ける理由:インタビュー
歌手の五木ひろしが3月16日、カバーアルバム『DREAM -五木ひろし J-POPを唄う-』をリリース。NHK紅白歌合戦50回連続出場(歴代1位)の他、『日本レコード大賞』の大賞を2回、最優秀歌唱賞を3回(歴代1位)、金賞10回(歴代1位)をはじめ、数々の大記録を打ち立てる。そして、これまでに実施したコンサートの回数は7000公演以上にものぼる。 さらに2007年に紫綬褒章、2018年に旭日小綬章を受章。2021年には五木ひろしとしてデビュー50年を迎えた。『DREAM -五木ひろし J-POPを唄う-』は、クラシックピアニストの清塚信也とクラシックギタリストの村治佳織の3人でレコーディングを行なった。収録曲には自身の楽曲「日本に生まれてよかった」をはじめ、井上陽水の「少年時代」、中島みゆきの「糸」、玉置浩二の「メロディー」など全10曲を収録した。珠玉のJ-POPソングを五木ひろしがカバーし、楽曲の新たな魅力、一面を見せた。インタビューでは、カバーアルバムの制作背景から、ライブへのこだわり、「五木ひろしが五木ひろしを壊してはいけない」と語る、歌手活動への姿勢について話を聞いた。【取材=村上順一】
僕は常に危険なことが好きなんです
――ご自身のレーベル、ファイブズエンタテインメントが設立され、20周年。この20年というのはいかがでしたか。 まさか自分のレコード会社を立ち上げるというのは想定もしていなかったですね。僕が所属していたレコード会社、僕が親父と慕っていた徳間ジャパンの社長が2000年に他界されてしまって。僕も心機一転、もう一回スタート地点に立とうと思いました。ちょうど阿久悠さん、船村徹さんとアルバムを作るという話があって、そのアルバム『翔 五木ひろし55才のダンディズム~船村 徹・阿久 悠とともに~』を作るにあたってファイブズエンタテインメントを立ち上げることに至りました。歌謡曲、演歌系、またCDという商品も、なかなか思うようにはいかない時代になってしまったけれど、その中でよくやってこれたなと思います。 ――時代の変化がめまぐるしいです。 シングル、アルバムも含めてずっと変わらず定期的にリリースしてきましたし、おかげさまでいくつかのヒット曲も生まれました。でも、僕は常に危険なことが好きなんです。あまり安住することなく、崖っぷちに立たされている、ちょっと危険な状態というのがわりと性に合うんです。会社を独立した時もそれは大きな賭けでした。結果的に勝負に出て成功しましたが、いくつかそういう節目があり、そういう時こそ、より自分が頑張れる、みたいなところがあります。 ――幼少期から危険な方、険しい道を選ぶようなお子さんでしたか。 そうですね。当時から僕は人と違うことをすることが好きで、群れをつくるとかあまり好きじゃなくて。特に僕らの世代というのは子供の頃から戦後のベビーブームで競争率の高い時代に育ったので、常に戦いなんですね。そうすると、人と同じことをしていたのでは飛び抜けない。危険だと思っても、賭けに出る精神というのがいつのまにか身に付いていて、またそういう時にこそ自分はパワーを発揮できると思ってきましたから。 ――五木さんには「休む」という概念もないのですね。 のんびりすることとか少し休むというのが僕はできないタイプです。常にがんばる、負けたくないという思いがあったので、半世紀も頑張ってこれたと思っています。とにかく負けず嫌いなんですよ(笑)。 ――私の場合、すぐ楽な方に行こうとしてしまうので、五木さんの姿勢を見習いたいです。 人間というものは元来怠け者なんですよ。音楽業界だけじゃなくて、様々な企業とか政財界も含めてトップに立っている人たちというのはほぼ僕の世代です。そういう人たちを見ているとやっぱり皆さん負けず嫌いなんですよね。大変だけれども何かを起こして、苦労するけれど最終的に成功する。僕も歌の世界で、とにかくがんばっていこうとここまでやってきました。ただ企業と違うところは僕の仕事は後を継げない一代限りの仕事というところです。一代限りということが逆に人生勝負に出られる大きなポイントでもあります。 ――一代限りのメリットもあるのですね。 僕には子供が3人いますけれど、その子たちに音楽、僕の仕事を継がせようと思ったことは一度もないですから。僕が頑張って一つの名を残し、作品を残せば、ずっと繋がっていきます。仮に僕がいなくなったとしてもチャレンジして何かを残していくこと、歴史を作っていくことに懸けました。50年、100年先でも歌い継がれていく。僕はこれで十分ですね。でも、自分が頑張っただけでここまで来れたわけではなくて、聴いてくれる、応援してくれる方々がいるから、その人たちの心に残っていくわけです。これが音楽の素晴らしさなんです。 ただ、日本という国はリスペクトをあまりしない国なんです。歴史を作った人を敬わない風潮があって、忘れられていってしまう。例えばアメリカはすごくリスペクトするという文化があるのですが、我々日本人もそうなってもらいたいというのが、僕の願いでもあるんです。実績を称えるということがどれだけ大事なことか、というのを僕はいつも思っているんですけど、どこまでいけば僕を最大限に評価してくれるのか、ということも考えて活動しています。 ――五木さんへの評価は誰もが疑うことのないものだと思われますが。 まだまだ全然十分じゃないです。僕が考えている100分の1ですね(笑)。美空ひばりさんは52歳という若さで亡くなられた。それは絶頂期で人生が途切れてしまったわけですが、その面影はずっと残っています。でも長生きして、がんばった人たちは自分で自分を壊してしまう傾向があるんです。 ――それはなぜですか。 より頑張ろうという精神、もっと自分を評価してもらいたい、という思いがあるからです。例えば田端義夫さんや三橋美智也さんはもっともっとリスペクトされなければいけない方たちです。三橋さんはレコードを1億枚売った人で、そんな方は日本の歌手の歴史上いないわけですから。 ――1億枚とはすごいです。 それが意外とリスペクトされずに、忘れ去られてしまう。音源や歌はどこかに残っているけれど、テレビ番組などで改めてリスペクトして取り上げるかといったらほとんどないんですよ。だから僕は先輩たちをとにかくリスペクトしようと、自分の番組で三橋さんを取り上げている理由なんです。