「余命1年」を淡々と受け入れられたある趣味の力 「大地に還る」という感覚が心の中によみがえった
2024年春、ジャーナリストの山田稔(64)さんに膀胱がんが発覚、肺にも転移しており、ステージ4でした。医師が語る病状説明を淡々と受け入れ、がんとの共存の道を選択した山田さんは、抗がん剤治療を経て10月に膀胱の全摘出手術を受けました。本連載(今回は第3回)では、余命宣告を受けたときの心境や、高額療養費制度について記します。 【写真を見る】アウトドア趣味が筆者の死生観に影響を与えました ■手術後は元気があり余っていた 腎機能回復のための腎瘻手術を終え、入院先の病院で安静に努める日々が続いていた。進行性の膀胱がんということだが、体の痛みも何もなく、いわゆるがんの症状はまったく感じられない。
食欲も旺盛だし、睡眠もしっかりとれている。腎機能関連のヘモグロビン減少による貧血、立ちくらみもなくなった。入院して3、4日も経つと日中の時間を持て余すほどになっていた。 起床は朝6時ごろ。朝食は8時過ぎなので、朝いちばんの検温、血圧測定が終わってしまうとすることがない。そこで入院3日目から散歩に出かけることにした。 最初は病院の敷地内をぐるっと回っていたのだが、やがて近所の公園にまで足を運ぶようになっていた。本当は外出の許可が必要とのことだったらしいが、許していただこう。
小さな池のある公園の手前にはせせらぎといっていい流れがあり、岸辺に菜の花が一面に咲いていた。緑の茎に黄色の花が鮮やかだ。そして公園内には気が早い桜が一輪、二輪と開花しているではないか。ああ、いい光景だ。春がやってきている。ベンチに腰を下ろしてつかの間の極楽タイムを堪能する。 そんな時、ふと考えた。「余命1年ちょっと」なんて宣告をよく平然と聞けたものだ。普通なら恐怖、諦め、絶望といった感情が露わになり、数日間は不安にさいなまれて耐えきれない思いをするのではないか。
ところが、今回、そうした負の感情は一切わかなかった。理由を考えてみた。2つ思い当たることがある。 1つは2010年、東日本大震災の前年に受けた人間ドックで「肺がん」と一方的に決めつけられ、大騒動になった体験だ。この時は精密検査をする前に外科部長に「肺がんで間違いない。早く切った方がすぐに治る」と言われ、「手術はしない」と応じたら、「何かの宗教に入っているのか」と言い出す始末。すぐにこの大学病院に見切りをつけ、北海道で1カ月間静養した後に、ある人の紹介で他の大学病院で再度診察を受けた。