「ととが天国でもいっぱい登れるように…」 K2西壁で滑落のクライマー2人に「お別れ」
23歳のとき、地図を手に一人パキスタンの山岳地帯を旅する中で、未踏ルートを自ら切り開く登山を志した。地図を見て現地に何度も通って山を眺め、自分だけの独創的なラインを描いて登る。人生をかけてそんな挑戦を続けたいと、大学を退学して現所属先に入社した。
奈良県出身の中島さんも関西学院大山岳部在籍中に3度の海外遠征を経験し、ネパールの未踏峰・パンバリヒマール(6887メートル)とディンジュンリ(6196メートル)を初登。大学卒業後は山岳コンサルタント会社に就職、テレビ番組の山岳カメラマンとしても活躍した。平出さんも同じころ、個人的に山での撮影の仕事を受け始めていた。
2人が初めて海外の山に一緒に登ったのは2014年、ミャンマー最高峰のカカボラジ(5881メートル)北稜の新ルート。このときリーダーを務めた山岳ガイドの倉岡裕之さん(63)は、2人の装備が「あまりに少なかった」ため、「(確保用の)フィックスロープ2本ぐらいは持っていったら」と声をかけると、「今の時代、フィックスなんか持っていったら登山じゃないですよ」と平出さんが真顔で言ったのを覚えている。
結果的には天候悪化に加え、ロープ不足もあって5670メートルで撤退したが、倉岡さんは2人のこだわりや登り方が「よく分かった」という。未踏のラインを見いだす卓越したセンスを持つ平出さんは司令塔、馬力ある中島さんがルートを開く。「あの2人だからこそやれた登攀だった。ずば抜けていた」と悼んだ。
おごらない謙虚さは、2人に共通していた。中島さんの妻は事故後、「トップクライマー」と称されていた中島さんが常々、「ただの登山愛好家や」と話していたことを夫の交流サイト(SNS)につづった。数々のトロフィーや賞状は大切に押し入れにしまいこんでいたといい、「ただただひたむきに、山を楽しんでおりました」としのんだ。(木村さやか)