プロ作家が取材で実践する「本を書くための」ノート術を公開。取材で「ICレコーダー」をあえて使わず、手書きにこだわる理由とは?
■ICレコーダーとメモが与える心証の差は大きい ちなみに、警察官や官僚は、自分の発言が録音されることをとても嫌がるものの、手書きのメモに関しては認める場合が多い。録音は自分の立場を危うくする証拠となるが、メモはそうではないという意識があるのだろう。それぐらいICレコーダーとメモが与える心証の差は大きいのである。 2は、取材の内容を活字化するために有効なことだ。 インタビューの時、相手は非常に回りくどい言い方をしたり、不用意に過激な表現をしたり、意見をコロコロと変えたりすることがある。書き手は、言葉尻に振り回されてそのまま書くのではなく、その人の本当に伝えたいことをまとめて活字にしなければならない。
また、相手が時系列などお構いなしに頭に浮かんだことを言葉にすることも多い。そのため、書き手は後で話を整理し、会話の最初に出てきた話を最後に回したり、最後に出た話を最初に回したりすることになる。思いつきで語られる情報を、話の内容や時系列に合わせて記録するということだ。 こうしたことが「テキスト化」と呼ばれる作業の基本だが、ICレコーダーの記録を文字に起こして執筆の参考にすると、取材時の発言や時系列がそのままの形で目の前にあるので、それに意識が引っ張られがちだ。そうなると、本来の意味でのテキスト化の作業がうまくいかなくなる。
3は、もっとも重要な点だ。 書き手は、あえてノートに書き取るという重労働を己に課すことで、インタビューをより充実したものにできる。 私は取材が終わると、同行した編集者から「そんなに手書きでメモをしていてよく疲れませんね」と心配されることがあるが、正直、疲労困憊する。私の右手中指の第1関節は曲がっているし、2時間の取材が終わった頃には右腕全体が痺れているほどだ。 そこまでして手書きにこだわるのは、書く作業が大変だからこそ、少しも無駄なことをしたくないという高度な集中力が生まれるからだ。相手の一言一句に神経を尖らせ、本全体の構成を考え、それに沿って重要な内容、引っかかる表現、微妙なニュアンスを効果的に配置して記録しようとする。極端にいえば、取材を終えた時点で、メモがそのまま作品の原稿の下書きに近いものになっているのが理想だ。