森永卓郎「私は生涯、一匹オオカミを貫く」余命宣告を受けて確信した「親友なんかつくってはいけない」理由
強く生きるためにはどうすればいいか。経済ジャーナリストの森永卓郎さんは「結局のところ、自分の問題は自分で解決するしかない。その覚悟がない人が友達を作りたがるが、『アイツとは互いに理解し合っている』などという発想は人を確実に駄目にする。人はどんどん一人になる訓練をしていかなければいけない」という――。 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、森永卓郎『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)の一部を再編集したものです。 ■一匹オオカミで生きる 身辺整理の対象となる事柄の中に人間関係も含まれる。 むしろ、最重要の課題かもしれない。 たとえば私のように余命宣告をされた場合、多くの人が親しくしてくれた友人に感謝を伝えておきたい、友人と再会しておきたいと思うのではないだろうか。 あるいは険悪になっている誰かとの関係性を修復しておきたいと考える人もいるだろう。自分にとって大切な人だからこそ気になるのだ。 ただ、私自身に関して言えば、親密な関係性を持つ人はいない。 私には友人が一人もいないのだ。 知り合いは多いが、あえて仲間を作らないようにしてきたからだ。 仲間を作ると自分がスキャンダルを起こしたり、逮捕された時に人を巻き込むことになる。 その逆もあって、仲間の誰かが問題を起こした時に自分が巻き込まれてしまう。さらに、仲間を作るということは、同時に仲間外れを作るということだ。 私は、それがたまらなく嫌なのだ。 誰もが一匹オオカミで生きると決めれば、仲間に入れてもらいたいと人に迎合する必要もないし、仲間外れにされたらどうしようなどとオロオロすることもない。 世の中には「共闘」を好む人のほうがずっと多い。 私のところにも、一緒に活動してほしいとか、選挙に出てほしいという依頼がたくさんくる。 ただ、私はすべてお断りしている。 私の闘い方は、「ゲリラ」だ。 大勢で力を合わせれば、力が強まることは事実だが、その分、組織丸ごとつぶされることもあるし、裏切り者も出てくる。 だから私の役割は、一人で闘い続けることだとずっと信じてやってきた。