巨人 マー君獲得決定的!打診に入団の意思伝える 菅野に代わる投のリーダーとして期待
巨人が楽天を退団し、自由契約になった田中将大投手(36)を獲得することが15日、決定的になった。巨人からの獲得の打診にこの日、田中将が入団の意思を伝えたとみられる。菅野智之投手(35)が海外FA権を行使してメジャー移籍を目指しており、先発投手の補強は重要事項。移籍先を探していた日米通算197勝を誇るベテラン右腕が、新たな舞台で再出発する。 【写真あり】愛妻とのラブラブ2ショット! 移籍先が決まらなかった田中将に救いの手を差し伸べたのは、阿部巨人だった。巨人からの獲得への打診。田中将も入団を決断し、その意思を伝えたもようだ。 リーグ連覇を目指す来季に向け、先発補強は重要事項だった。今季15勝で最多勝の菅野は海外FA権を行使し、メジャー移籍を目指している。優勝旅行先のハワイで阿部監督は「智之(菅野)が抜けるとピッチャーのチームリーダーみたいな存在がいなくなる」と懸念していた。指揮官にとっては、現役時代に13年WBCなどで侍ジャパンのチームメートでもあった田中将。楽天を自由契約になったことに指揮官は「実績がある。やっぱりうちは若い投手が多いし、そういう面でも必要なのかなっていうのはある」と話していた。さらに、ソフトバンクからFA宣言した石川の獲得に動いたが、5球団の争奪戦の末にロッテ入りが決定。経験値も含めた先発補強に36歳の右腕に白羽の矢が立った。 21年にヤンキースから古巣・楽天に復帰した田中将は在籍4年間で20勝にとどまり、右肘のクリーニング手術明けだった今季は1試合の登板で白星なしに終わった。3年連続の大幅減俸を提示され、退団を決意。「金額で(退団を)選択しているわけではない」と強調し「もう期待されていないんだなと。求められているところでやるのが一番だなと思った」と理由を語った。調査していたヤクルトは獲得を見送ることになり先行きは不透明だったが、球界の盟主が手を挙げた。 田中将と巨人といえば、13年の日本シリーズ。同年に24勝0敗の圧倒的成績を残した絶対エースの田中は、第2戦で当時新人だった菅野に投げ勝ち、第6戦では雪辱を許した。3勝3敗の第7戦では志願の救援登板で胴上げ投手。球団史上初の日本一に導いた。あの激闘から11年。菅野が抜ける見込みの巨人が新天地となるのは、特別な縁も感じる。 巨人とヤンキースの日米名門2球団でプレーするのは、日本選手では松井秀喜以来。同い年の坂本とは小学校時代にバッテリー(田中が捕手、坂本が投手)を組んだ仲で、心強い存在になる。あと3勝に迫る日米通算200勝。新天地で復活へのスタートを切る。 ≪生え抜きの200勝投手は2人だけ≫巨人生え抜き投手の通算200勝は中尾碩志(209勝)、堀内恒夫(203勝)の2人だけ。巨人移籍後に200勝は別所毅彦が54年6月5日阪神戦、藤本英雄が55年10月11日広島戦、工藤公康が04年8月17日ヤクルト戦で達成した。また、打者で巨人移籍後に通算2000安打は落合博満が95年4月15日阪神戦、清原和博が04年6月4日ヤクルト戦、小笠原道大が11年5月5日阪神戦で達成している。 【田中将の退団表明からの経緯】 ▼11月24日 自身のYouTubeチャンネルで退団を表明。「楽天と来季の契約を結ばず、新たなチームを探すことを決めた」と語った。石井一久SDは本人から「自由契約にしてほしい」と申し出があったと明かす。 ▼26日 楽天モバイルパークで取材に応じ、退団決断の理由を説明。来季のオファーは受けた上で「個人的には実質、居場所はないんじゃないかと受け取った」などと話した。 ▼28日 ヤクルトの小川淳司GMは田中について「調査という段階で、獲得に向けた調査をしている段階ではない」と慎重な姿勢を示す。その後、獲得を見送る方針を固める。 ▼12月2日 保留選手名簿と、名簿から外れた自由契約選手が公示され、田中は正式に自由契約選手となった。 ▼8日 都内で野球教室を開催。自身の去就について進捗(しんちょく)状況がないことを明かし、楽天との再契約の可能性については「悩んで悩んで、考えて考えて出した答え。そこはないと思います」。