名将ハリルホジッチも苦悩したラマダンの罠。アルジェリア代表が直面した「サッカーか宗教か?」問題
“砂漠のキツネ”の名誉ある敗退
ラマダンが惹起(じゃっき)した問題で“砂漠のキツネ”は揺れていたが、ベスト16でドイツと戦わなければならなかった。ドイツに対しては、喉が焼けて乾くほど復讐心に燃えていた。というのも、1982年に両代表チームの間で起きた出来事は、いまだ鮮明に記憶されているからだ。 その年、アルジェリアはワールドカップに初出場した。アフリカサッカーの歴史的な試合となる初戦の相手が西ドイツだった。スペインで開催されたその大会で、西ドイツ代表は、シューマッハ、シュティーリケ、ブライトナー、ルンメニゲといった、世界に知られたスター選手を擁していた。それでも、アルジェリア代表の絶対的英雄である偉大なラバー・マジェールを中心としたチームは、国の期待を胸に西ドイツを打ち破り、今日でも歴史的大勝利のひとつとして記憶される大金星を挙げた。 しかし当時は、グループリーグ最終節は同日同時刻開催ではなく、アルジェリアの最終戦が行われた翌日に、西ドイツ対オーストリア戦が組まれていた。それがアルジェリアにとっては、気に入らなかった。アルジェリアはチリに勝利することになるが、その後に行われる西ドイツ・オーストリア戦は試合前から結果がわかっている「出来レース」となる可能性があったからだ。西ドイツが1-0で勝利すれば、西ドイツとオーストリアの両国が決勝トーナメントに進出することができる。案の定、その通りになった。試合開始早々に西ドイツはルベッシュが得点すると、厚顔無恥にも以降は試合時間をつぶすだけのサッカーを見せ、スタジアムに詰めかけていた4万人以上のサッカーファンの怒りをかった。この試合は「ヒホンの恥」として知られることになる。 ラマダンと復讐。これら2つの大きな食材がこの2014年のアルジェリア対ドイツ戦に辛味を加えた。この勝負は最初から最後まで素晴らしかったということは認めねばならない。攻守が目まぐるしく交代する試合展開のまま前後半の90分が過ぎた。両チームとも爆発寸前の感情をうちに秘めながらゴールを狙ったが得点につながらなかった。ところが延長に入るとドイツはシュールレが1点目、エジルが2点目を挙げた。アルジェリアはついに屈した。しかし、すべてのサッカーファンからアルジェリア代表は称賛を受けた、名誉ある敗退だった。 アルジェリア代表選手のうち、誰が厳格な断食を実践し、誰が自分の都合に合わせた実践をしたのかはわかっていない。同様に、キリスト教を信奉する選手が大会期間中にミサに行ったかどうかもわからない。わかっていることは、あの大一番の前に、代表チームのエネルギーを消耗させたアルジェリア人がいるということだ。優秀なスポーツ選手のパフォーマンスに与える影響は、控えめな断食と、世論との対立による消耗とどちらが大きいのか。この疑問は依然として宙に浮いている。 (本記事は東洋館出版社刊の書籍『不屈の魂 アフリカとサッカー』から一部転載) <了>
[PROFILE] アルベルト・エジョゴ=ウォノ 1984年、スペイン・バルセロナ生まれ。地元CEサバデルのカンテラで育ち、2003年にトップチームデビュー。同年、父親の母国である赤道ギニアの代表にも選ばれる。2014年に引退し、その後はテレビ番組や雑誌のコメンテーター、アナリストとして活躍。現在は、DAZN、Radio Marcaの試合解説者などを務める。
文=アルベルト・エジョゴ=ウォノ