名将ハリルホジッチも苦悩したラマダンの罠。アルジェリア代表が直面した「サッカーか宗教か?」問題
ハリルホジッチに課せられた困難な課題
預言者マホメットの教え、コーランの精読が、祈りと規律を重んじるイスラム法によって求められる教育の基本だ。サッカーにとっても他人事ではない。特にデリケートなのがラマダンだ。信者は犯した罪を清めるため、イスラム暦の9月は日の出から日没まで断食をしなければならない。重要な大会がラマダンの時期と重なった場合、どうするかの二者択一は国家の問題だ。 アルジェリアではそれをよくわかっている。アルジェリア代表は2010年のワールドカップ・南アフリカ大会に出場した。歴史的ライバルのひとつ、エジプトを最終予選リーグのプレーオフで下しての出場だ。その1-0での勝利に国じゅうが歓喜した。“砂漠のキツネ(アルジェリア代表の愛称)”は北アフリカからは唯一の出場国だったので、ワールドカップ開催期間中はアルジェリアが北アフリカ代表の旗を掲げていたことになる。 ただしアルジェリアは、この大会で何かすごいことをやりそうだという雰囲気が全くなかった。グループリーグの3試合のうち、イングランド戦だけがかろうじて0-0の引き分けで、他の2試合は敗北した。地元出身の監督ラバー・サーダヌに率いられたアルジェリア代表は、1ゴールも決められず大会を後にした。そのため、アフリカの人々に、アフリカサッカーの真の王者エジプトこそが出場するべきだったという印象を残した。これに危機感を覚えたアルジェリアサッカー連盟は、新しい監督を探した。 ヴァイッド・ハリルホジッチは傷心を抱いていた。このボスニア人のサッカー指導者は、アフリカ予選負けなしでコートジボワールを2010年のワールドカップへと導いた。しかし、ワールドカップの数か月前に行われたアフリカネーションズカップ(CAN)では良い結果が残せず敗退したため解任されてしまった。重要な大会を目前にしてこのような決断をするとは普通ありえないが、アフリカ大陸の国ではありがちな奇抜な動きだ。 コートジボワールとの関係が苦々しい形で破綻したハリルホジッチは、アルジェリアからの招聘を受諾した。しかし始まりは状況がねじれてうまくいかなかった。彼の新しい生徒たちは2012年のCANへの出場を果たせず、翌2013年の大会には出場したものの、予選リーグ敗退となった。なかなか壁を破れなかったが、アルジェリア人は監督に対して辛抱強かった。 アルジェリアの新チームは、さらなる高みを十分に目指せそうな陣容だった。しかしそのためには、異質集団が結束することが必要不可欠だ。フォワードのヒラル・スダニやイスラム・スリマニのような帰属意識が強いアルジェリア生まれの選手がいれば、才能があるヤシン・ブラヒミやソフィアン・フェグリのように、出自はアルジェリアだがフランス生まれの選手もいる。度重なる失意を味わってきたチームにバランスをもたらすことは、ハリルホジッチにとって困難な課題だ。