名将ハリルホジッチも苦悩したラマダンの罠。アルジェリア代表が直面した「サッカーか宗教か?」問題
独裁政治による衝突、ピッチ外での暴動、宗教テロ、民族対立……。いまなお様々な争いや暴力と常に隣り合わせのなか、それでもアフリカの地でサッカーは愛され続けている。われわれにとって信じがたい非日常がはびこるこの大地で、サッカーが担う重要な役割とは? 本稿では、自身も赤道ギニアの代表選手として活躍し、現在はサッカージャーナリストとして活動する著者が書き上げた書籍『不屈の魂 アフリカとサッカー』の抜粋を通して、アフリカにおいて単なるスポーツの枠に収まらないサッカーの存在意義をひも解く。今回はアルジェリア代表が直面した「サッカーか宗教か?」問題について。 (文=アルベルト・エジョゴ=ウォノ、訳=江間慎一郎/山路琢也、写真=ロイター/アフロ)
実の母に魔術をかけられたアデバヨール
誰も問題にしようとしないが、アフリカ文化には紛れもなく4本の柱がある。 第一の柱は家族だ。これは他のいかなる問題よりも高く位置づけられる。血のつながりは集団内で不変・不滅のつながりを形成し、誰がどのような逆境に陥っても、それを克服すべく手助けをする。 第二の柱は、議論するまでもなく、伝統だ。民族の慣習に敬意を持って接すれば、その文化遺産を永続させることができるし、とりわけ民族の起源に日々思いを馳せることにもなる。 第三の重要な柱は宗教だ。「ヨーロッパ人は聖書を手に我らが大地にやってきた。気がついた時には、我々は聖書を読み、ヨーロッパ人は我らが大地を好きにしていた」とは、1964年から1978年にかけてケニアの初代大統領を務めたジョモ・ケニヤッタが、非植民地化の時代の只中に反帝国主義行動に向けた講演会で怒りを込めて放った言葉だ。 そしてアフリカ大陸を支える第四の柱は、もっと近代的なものだが、それはサッカーだ。サッカーは国民をひとつにまとめ、共通の目的のために戦わせることができる。つまり、アフリカ人に対して偉大なる力を及ぼしているのだ。 さて、このうちの2つの柱、宗教とサッカーはしっかりと混ざり合ってきた。宗教といえば、第一義として、ひとつの共同体にもっとも深く根づいている信仰のことを指しており、その共同体には様々な伝統がある。「ユユ」は口語体で黒魔術やアフリカ呪術を指し、アフリカ大陸の広域で、人々の日々の生活様式の中に根づいている。例えば、ザイールが1974年のワールドカップに出場した際、国のあらゆる所から呪術師や呪術医が合流し、代表チームから悪霊を祓った。大会での結果が悪かったことを考えれば、お祓いはあまりうまくいったとは言えない。 もうひとつの宗教との強い結びつきを示す例が、トーゴのエマニュエル・アデバヨールだ。このストライカーはトッテナム時代に不調だった時、「自分が不調なのは魔術で呪われていて、個人的に大変な目にあっているからだ」と弁明した。トーゴのスターは、家族が自分に魔術をかけているから良い結果を出せないのだとはっきり語った。アデバヨールが大っぴらに告白したことによれば、彼は幼少の頃歩くことができなかったため、母親は相当な苦労をしたが、今は息子が活躍できないよう魔術の儀式をしているということだった。これほどユユの存在感をよく示す例はない。