殿堂入り阪神金本知憲監督と元巨人松井秀喜氏の意外なライバル関係
仕事の関係で来日できなかった松井秀喜は、この日、メッセージで長嶋茂雄・巨人終身名誉監督の自宅の地下室で、試合前のロッカーで二人三脚でバットを振り続けた日々を、こう振り返った。 「来る日も来る日も、私のスイングをチェックして下さり、その日々が、打者としての、また野球選手としての大きな礎になりました。『打撃は生き物だから、日々バットを振って、自分自身と向き合い、常に最高の状態にしておかなくてはいけない』長嶋監督からのその教えを胸に、選手生活を引退するまでの日々を送りました」 また長嶋氏も祝福のメッセージの中で、「私の前で、何千、何万、何十万とスイングしたのでしょうが、松井君は一振りたりとも手を抜きませんでした」と明らかにしたが、金本も、また、この師弟コンビに負けないくらいのバットスイングを繰り返していた。 FAで阪神へ移籍後、金本氏が甲子園での試合後にウエイトトレーニングをしてから帰る習慣がチーム内に広がり、内部から意識革命を行うことになった。そのとき、金本氏は必ずバットスイングもしていたのである。 「僕が広島の場外に打つと松井も場外に打った。僕が看板に当てたら、松井も当てた。そこは僕が先だから」 知られざるライバル物語が、原動力だったのである。 山本氏が、入団時の金本氏を見て「時間がかかる」と語ったように、実際、金本氏が開花したのは、故・三村敏之監督にバトンが渡ってからだった。 「規定打席に達したのが(入団4年目の)27歳。かなり遅い。だから、今燻っている若い選手に、いつも言う。『おれだって27歳からだよ。(自分を)見捨てずに鍛えたらチャンスはある』と」 人知れぬ努力と自己犠牲の精神、“ゴジラ”という好敵手を得て、殿堂にまで上り詰めた監督だからこそ、その若手への訓話に説得力がある。そして今、金本氏は、自らの野球人生をこれからのタイガースの未来に重ねるのだ。 「まだまだレベルの高い競争とは言えない。レギュラーが決まっていないところでの競争だからね。誰がレギュラーになってもおかしくないというハイレベルな競争にしたい。そう選手が思ってくれないとダメですけどね」 金本氏は阪神の監督として3年目を迎える。現役監督の殿堂入りは7人目である。