落合陽一×井口皓太(映像デザイナー)五輪史上初!「動くスポーツピクトグラム」誕生秘話【前編】
画像やロゴに短いアニメーションを加えることで、映像のデザインに"変身"させる――その「モーショングラフィックス」と呼ばれる分野は、落合陽一(おちあい・よういち)いわく「スマホも含めた液晶ディスプレイが普及した近年は、あらゆる図表要素に動きが入るようになり、とりわけ重要性を増している」。 【画像】動くスポーツピクトグラムの制作過程 今回のゲストはそのモーショングラフィックスを主軸に活動する、映像デザイナー・クリエイティブディレクターの井口皓太(いぐち・こうた)だ。"創造的結社"を名乗り、若手クリエイターが集まるCEKAI(世界株式会社)の創設者で、現在も代表を務めている。 最近の代表作といえば、1年の延期を経て2021年に開催予定の夏季五輪、東京2020大会に使われる「動くスポーツピクトグラム」だろう。言語に頼らず競技種目をイラストレーションで表現するスポーツピクトグラムには東京1964大会以来の歴史があるが、井口はそこに史上初めて「動き」を与えた。大会が予定通りに開催されていれば、昨年の夏は誰もが彼の作品を目にしていたことだろう。 * * * 井口 井口皓太と申します。モーショングラフィックスをメインにしながら、映像デザインの領域をちょっと拡張することでクリエイティブディレクションの仕事もさせてもらっています。 僕は武蔵野美術大学の基礎デザイン学科というところで学んでいました。当時の美大生の中では卒業後に広告代理店に入る、というのがひとつのステータスみたいな時代だったんですが、3年生になってみんなが就職活動するのを見ていて、「今までやってきたことと全然つながらなそうだな」と思っちゃいました。 大手広告代理店と子会社の力関係がそのまま、例えば「アートディレクター」と「デザイナー」の関係になっているなど、末端のつくり手がマウントをとられる仕組みができあがっているようで、そこに違和感を持ちました。きっと当時も今も、同じような感覚を持っている人もいるんじゃないかと思います。 それで、ちょっと目立ったクリエイションをやっている学生たちで集まって、TYMOTE(ティモテ)という会社をつくっちゃいました。"パイレーツ・オブ・デザイン"を名乗り、とにかくつくるものだけで勝負しよう、と。とはいえなんのコネもないし、あまり仕事はもらえず、クラブイベントのフライヤーを製作したり、VJ(ビデオジョッキー)をしたりしながら、その日暮らしみたいな感じのスタートでした。 そんななかで、仲間が作るグラフィックを、僕が(ブログサービスの)Tumblr(タンブラー)でgifアニメーションにしてループさせる......みたいな遊びを始めたら、ちょうど世の中のgifブーム再燃の流れに引っかかりまして。 これが転機になり、モーションデザインを本格的にやっていくことになります。さまざまなミュージシャンのMVをモーショングラフィックスで作らせてもらったり、ライゾマティクスさんに声をかけてもらってPerfumeのライブ演出の映像を作らせてもらったり。20代を楽しく過ごさせていただきました。 TYMOTEというチームをつくったときは、クリエイターが直接ブランドを相手にして仕事できるようにすることをひとつの目標にしていました。その目標は、イッセイミヤケさんのブランディングからキャンペーンまですべてお任せいただくという形で達成されまして、僕たちは10年目にしてTYMOTEの会社としての活動を終えました。