巨人“育成の星“山口鉄也が引退会見。米国下積みから横浜、楽天テスト落ちても…劇的野球人生
横浜、楽天の入団テストに落ちた!
覚悟を決めて帰国したものの、練習相手がいない。 ならばと、高校卒業とともに社会人となっていた久田さんが頻繁に仕事を早めに切り上げ、不慣れなキャッチャーを務めてくれた。横浜市港北区の岸根公園が、2人にとっての「聖地」になった。 夏が過ぎ、迎えた秋。 地元横浜の入団テストは、たまたま訪れていた大魔神・佐々木主浩が「絶対に獲得すべき」と進言したにもかかわらず、編成上の理由で不合格になった。受かるだろう、と楽観視していた楽天でもサクラは咲かない。巨人のテストを前に山口は腹を括った。 「これでダメなら、野球をあきらめる」 ジャイアンツ球場のブルペンで、山口は持ちダマのすべてを披露した。ストレート、カーブ、スライダーにアメリカで習得したシュートとチェンジアップ。引退会見の席で山口が名前をあげた、小谷正勝二軍投手コーチが思わずうなった。 「あのチェンジアップ、いいねえ」 右打者の外角低めに絶妙のタイミングで沈む独特の軌道が、名伯楽として知られる小谷コーチに一芸を感じさせ、育成ドラフトにおける1位指名への序曲となった。 「ひとつでもよければ、あとは肉付けしていけばいいだけだからね。山口の場合は投げ方をちょっとヨコに変えた。その方が、左打者がより嫌がる。その後の活躍はアイツの努力の賜物だけどね」 飛び込んだプロの世界でも、さまざまな出会いを山口は前へ進む力に変えてきた。 2007年に一軍デビューしてから11年。積み上げた記録は642試合登板、52勝27敗29セーブ、防御率2.34である。 晩年、故障に苦しんだ鉄腕は、堂々たる記録を胸にユニホームを脱ぐことを決意した。 実は、山口の能力をよく知る誰もが残念がることがある。 軟式ボールでプレーした中学時代。横浜スタジアムの右中間スタンドにワンバウンドで放り込む、豪快なエンタイトルツーベースを放った山口の群を抜く飛距離は、巨人の投手陣が行う打撃練習でもすぐに名物となった。実際、山口はこん な言葉を久田さんにこぼしている。 「僕自身も打ちたいんだよね」 先発に転向した2010年は打席に立てる最大のチャンスだったが、チーム事情からわずか2試合で中継ぎに戻った。最優秀中継ぎ投手賞を3度も獲得した痛快無比な軌跡と、永遠に答えが見つからなくなった仮説を残しながら、山口は胸を張って第2の人生を歩み始める。 (文責・藤江直人/スポーツライター)