18歳から車いすが必要な生活になった男性 「障がいの有無にかかわらず『夢』を持つことは素晴らしい」モデルとしても活躍する彼に迫る
ライソゾーム病という病気を知っていますか? 私たちの体の細胞は、生きていくために必要な成分やエネルギーを毎日作り出しています。一方でいらなくなったものを分解し、排出する小器官がライソゾームです。ライソゾームには、たくさんの種類の「酵素」と呼ばれるたんぱく質が含まれており、これらの酵素がいらなくなった脂質や糖質などを分解しているのです。 【実際の写真7枚】リハビリの様子(@satoshi1256さんより提供) ところが、ライソゾーム内で機能する酵素の働きがなかったり、弱くなったりしていると、分解されるべきものが体の中にたまってしまいます。そして、細胞がうまく働かなくなり、体のさまざまな部分に症状が現れる病気がライソゾーム病です。 この病気を患っている丸山聡さんは、車いすや杖を使用しながらも障がい者モデルとしてアクセシビューティーマネジメントに所属し、活躍しています。そこで丸山さんに、病気のことやモデルになった理由などを聞きました。
ライソゾーム病「シアリドーシス」という疾患
ライソゾーム病は欠損する酵素の種類によって異なるため、ライソゾーム病と一括りにしても50種類以上の疾患があると言われています。 丸山さんはライソドーム病の中でも「シアリドーシス」という疾患で、症状の一つとして体幹機能障害があり、杖や歩行器が必要です。また、言葉が詰まりやすいなどの吃音症状、自分の意思ではコントロールできない手の震えやピクつき、疲労が溜まるとけいれん発作を起こすことも。さらに視力低下や白内障の症状もあるといいます。 丸山さんが病気について認識したのは18歳のとき。中学2年生のときに転倒で骨折し、検査入院をしました。そこで脊髄小脳変性症の疑いがあることがわかったのです。しかし、高校生になるタイミングで大きな病院を紹介してもらい、もう一度検査入院をした結果、脊髄小脳変性症ではなくライソゾーム病と診断されました。 ※脊髄小脳変性症…歩行時のふらつきや、手の震え、ろれつが回らない等を症状とする神経の病気です。 ライソゾーム病と診断されたとき、医師からは治療法がないということを告げられます。 丸山さんは「驚きとショックで『えっ...』となり、これからどうなるんだろうという不安な気持ちでした。また遺伝性の病気と聞き、両親が自分自身を責めないかという心配な気持ちもありました」と当時の思いを振り返ります。 小学5年生からずっと卓球が大好きで、高校も県外の強豪校へ行く覚悟をしていたという丸山さん。しかし、病気の進行で諦めざるを得ない状況になりました。それが人生で1番悔しくつらかったといいます。 また、ライソゾーム病は進行性の病気なので運転免許は取得できません。丸山さんの住む山形県は車社会のため、福祉サービスやタクシーを使うしかなく、金銭面と好きなときに好きな場所へ行けないという不自由さに悩まされました。 さらに、高校卒業後に障がい者雇用の説明会に行った際、30人ほどいる中で車いすユーザーは丸山さん1人だったといいます。 「企業の求めている人材として、自分は就労不可能なんだと感じたのがつらかったです…」と、そのときの思いを語ってくれました。 障がいによって諦めなければならないことも多く、つらいこともありましたが、そうした時期を乗り越えられたのは卓球でずっとお世話になっていたコーチの存在でした。病気が進行し選手を諦めたときにコーチが、小学生、中学生のコーチをやってみたらどうかと勧めてくれたのです。 実際にコーチをやってみた丸山さんは「選手のときより充実感があり、もう一度卓球の楽しさを思い出せて、つらい時期を乗り越えられました」と話していました。