新型コロナで亡くなった母親。残された息子は「ネット上のデータ遺産」を集め始めた
2020年5月14日、60年代に青春時代を過ごし、ヒッピーと自認してきたジャニン・ソレイユさんは、新型コロナウイルス感染症にかかりニューヨーク・クイーンズの病院で亡くなった。75歳だった。【BuzzFeed / Katie Notopoulos】
新しいテクノロジーを進んで利用することはなく、数年前まではタイプライターで打った手紙を親友に送るような人だった。
ジャニン・ソレイユさん(1945~2020)
ソレイユさんの死後、息子でアーティストのディラン・ゴティエさんは、母親が遺したデジタルデータ遺産に関するマルチメディア・アート・プロジェクトに着手した。インターネットを拒んだ人が電子データベース上に残したものを探すのだ。
60~70年代、カリフォルニアで過ごした青春時代
1945年にニューヨークのブルックリンで生まれたソレイユさんは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でバレエを学び、ヒッピーの街として有名なサンフランシスコのヘイト・アシュベリーに住み着いた。
その後、カリフォルニア州北部サクラメントの北にあるチコでソーシャル・ワーカー、ファミリー・セラピストになった。
のちに、チコから少し内陸に入った小さな町クインシーでも同じ職につき続けた。ゴティエさんの父親と離婚した後、名字をソレイユへ変えた。音が気に入って選んだフランスの言葉で、「太陽」を意味する。
60年代後半、70年代にカリフォルニアで若いころを過ごしたソレイユさんは、環境問題と男女同権を訴えて運動していた。
親友のレナ・オストロフさんは、1969年にソレイユさんと出会った。「すぐに意気投合した」ふたりはどちらも、ロサンゼルス・ウェメンズ・センターというフェミニストの団体で働いていた。ふたりの友情はその後何十年も続く。
世界の様々な国に移り住んでいたオストロフさんに、ソレイユさんは頻繁に会いに行った。
UCLAでダンスを学んでいたソレイユさん。
ソレイユさんの方が少し年上で、カリフォルニアで流行っているものや新しいものをオストロフさんに紹介した。それが玄米のときもあれば、オストロフさんに息子が生まれた後は、母乳育児支援グループのラ・レーチェ・リーグのときもあった。