村田修一はなぜ「引退」の2文字を使わなかったのか?
NPB復帰を目指して独立リーグのルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーしている村田修一(37)が1日、栃木・小山市内のホテルで記者会見を行い、NPBへの挑戦をあきらめる決意と、現役続行の考えがない、ことを明らかにした。ただ「引退という言葉は使いたくないし、皆さん(メディア)にも使って欲しくない」と、正式な引退表明は行わなかった。村田が「引退」の2文字を使わなかった理由とはーー。 村田はスーツ姿で5か月前に入団会見を行った同じホテルの同じ壇上に座った。 その表情は晴れやかとは言えない険しいものだった。 昨年10月13日に巨人を戦力外になった村田は、オフの間に他球団のオファーを待ったがなく、今春から独立リーグでプレーしながら、NPBの復帰を待つという選択をした。だが、大型補強の時代から若手育成に舵を切った球界トレンドの犠牲になり、移籍期限が切れる運命の日にも電話はならなかった。 「NPBに帰るのであれば、僕の中での期限が、昨日。お誘いがなかったので、区切りをつけるために8月1日に会見を開くと決断した。(結果を)受け止めて前へ進まないといつまでも後ろを向いていても自分のやってきた野球人生を否定することになる」 NPBへの決別の意味で7月31日の移籍期限の翌日に会見を設定したという。 栃木では、42試合に出場、打率.352、9本塁打、44打点をマーク、6月は打率.404、5本塁打、19打点で月間MVPを獲得していた。途中、ふくらはぎを痛め、5月にあった巨人3軍との交流戦ではスタメン出場はできなかったが、代打で逆転2ランでチームを勝利に導くなどの意地を見せた。 「怪我したのも事実で、なかなかチームに貢献できなかったが、NPBに帰って野球ができる状態まできていたと思っている」 だが、このオフ、或いは、来年、もう一度,NPBを狙うという考えはもうない。さらに1年待ったからと言って若手育成重視の各球団共通とも言える方針が劇的に変わるとは考えにくいからだろう。 「来年、復帰できるかも定かではない。確率の低いものを追いかけても次へ進めない。(来シーズンの復帰をめざして)体制を整えることはない」 ハッキリとそう言った。 さらに「来年ユニホームを着て、どこかで野球を続けるのは考えにくい」と、事実上、今季限りで現役引退する考えを明かしたが、「今日、ここで引退の二文字は使いたくないし、皆さんにも使って欲しくない」と声のトーンを高めた。 9月9日にホームの小山運動公園野球場で行われる群馬ダイヤモンド・ペガサスとの最終戦まで栃木で「チーム勝利のため全力でプレーする」村田にとって、その2文字を口にするのは、最終戦が終わってから。最後のワンアウトまで全力でプレーを続けるのが、村田の信念であり、まだ試合が残っている段階で、引退の2文字を口にするのはチームメイトやファンへの失礼にあたる、という村田の去り際の美学なのだろう。