鎌倉駅徒歩8分のシェアハウス。他人と暮らすわずわらしさや、過去と折り合いをつけてきた住人たち「待望の2年後」の物語『鎌倉駅徒歩8分、また明日』【書評】
小説を読んでいると、いつの間にか自分のなかに暮らし始める人々が現れてくる。最後のページを閉じたあとも、ふとしたとき、たとえば、コーヒーを淹れているときや木々を見あげたとき、“そういえば、あの人たちは今ごろ、どうしているんだろう?”という思いが巡ってくるときがある。2年前に刊行された『鎌倉駅徒歩8分、空室あり』(越智月子/幻冬舎)は、そうした自分のなかの“巡回率”の高い小説だ。
舞台は、鎌倉に佇むカフェとシェアハウスを兼ねた古い洋館“おうちカフェ”。男手ひとつで育ててくれた父を亡くし、ひとりになったオーナー・香良のもとに集まってきたのは、家族とうまくいかなくなったり、寄るべなく、悩みを抱えてきたり、それぞれの事情から心の隙間を抱える住人たち。たったひとつの入居条件である“昭和生まれ”からして皆、大人ではあるけれど、これまでの自分の生き方が沁みついている世代だからこそ起こるささやかな騒動。そんな人々の気持ちを平らかにしていくのは、心地よい暮らしと美味しいコーヒー、カレー。そしてその場所が育んできた時間と自然が、人々の気持ちに寄り添う、鎌倉という土地。 読者の集いがオンラインで開催されるなど、数多の人に愛される『鎌倉駅徒歩8分、空室あり』は、鎌倉駅前の書店で約半年にわたってベストセラー1位ともなった話題作。その続編となる『鎌倉駅徒歩8分、また明日』(幻冬舎)がついに刊行された。 描かれていくのは、前作刊行からのリアルな時間経過とも重なるおうちカフェの2年後。ヤマガラの声が近くに聴こえてくるようになる新緑の五月から始まる物語のなかへ入った途端、“あぁ、また、ここに帰ってきた”という安心感のようなものに包まれる。月日が経ったというものの、昭和生まれの住人に、若い世代の人々のような大きな変化は見られない。かといって、やっと見つけた自分の居場所で、自分らしい日々を重ねてきたなか、変わっていない、というはずもない。そんな機微がこまやかに掬われていく物語では、ふとした言葉やふるまい、住人たちのやりとりから、鬱蒼とした木々の合間に小鳥の姿を見つけたときのような、うれしさがこみあげてくる。 人付き合いが苦手なオーナーの香良、離婚をしてこの家にころがりこみ、“シェアハウスをここでやろう!”と香良を押し切った、香良の大学時代からの親友・三樹子、愛犬・ツンとやって来たちょっぴり神経質な里子、隠しごとを持つ、最年少のあゆみ、息子夫婦から自分の家を追い出され、ここへとやって来た鎌倉夫人の千恵子が、前作からのおうちカフェの住人。今作では新たに隣人・グラディスさんの愛娘・美佐緒がやってくるのだが、フランスから帰国したばかりの彼女は、どうやら心にわだかまりを抱えているようで……。 香良がインスタを、三樹子がデイサービスでバイトを始めているように、皆、小さいけれど新しいことを始めているが、「月が本当にきれいですね」という題名の章があるように、本作では“恋”がストーリーを動かしていくもののひとつに。“恋”といっても、それを“恋愛”と呼ぶことはためらってしまうような、けれど“人を好きになる”ということ、その滋味のようなものが、物語のなかに映し出される。紫陽花の季節の東慶寺で、さくら貝が打ち上げられる季節の由比ガ浜で、銀杏の葉が黄金色の絨毯を広げる浄智寺で、空の碧さにそろそろ春を感じる頃の材木座海岸で、ハンゲショウの花が咲く鎌倉山で――。 前作では、“他人と暮らす”ということ、そしてここへとやってくることになった理由や過去と折り合いをつけていく住人たちの姿が描かれていた。そうした自分自身との折り合いはもとより、今作では、誰かとの関係のなかに心地よい折り合いをつけていく人々の気持ちが浮かびあがる。そしてそれはいつしか読む人の養分にもなっていく。 タイトルにある「また明日」も。 “香良さんって自分の『これから』について考えたりすることある?” “たとえばだけどね、おうちカフェいつまで続けるのかなとか、年をとってひとりだったらどうしようとか” その問いから現れてくる言葉に、著者の越智月子さんが、このシンプルなタイトルをつけた思いが見えてくる。そしてきっと、誰もが「また明日」という言葉を好きになる。 前作に続き、本を装っているのは花森安治さんの画。そしておうちカフェの賄い料理、土曜日のカレーに続き、今作では、月曜日のパスタ! 誰がつくるのか、いったいどんなレシピが登場するのかは読んでからのお楽しみ。もちろん前作で読者を湧かせたイラスト入りレシピも巻末に! 続編ではあるが、こちらから読んでも、おうちカフェの住人たちは、快く迎え入れてくれるから大丈夫。暮らしのそばに置いて、なんども読みたくなる一冊なのである。 文=河村道子