青木さやか 娘に「勉強しなくていい」と伝えたら「勉強するなっておしつける」と怒られて。生意気な口調がビジュアルに合ってきて無性に腹が立つ
連載「50歳、おんな、今日のところは『……』として」で、母との確執やギャンブル依存症など、自身の経験を赤裸々に綴り話題となった青木さやかさん。2019年に母を見送り、現在は中学生になる娘さんを1人で育てています。「母が嫌い」だった青木さんが、自身と娘との関係を見つめ、これまでの子育てを振り返ります――。 【写真】青木さんの家のリビングには * * * * * * * ◆勉強しなさいと押し付けてきた母と 娘の学校で先生との面談の帰り道の車内。面談では成績の話を主にさせていただいた。娘のことが少々心配で、先生に面談を申し込んだのは、わたしだった。 わたしは一度も娘に勉強しなさい、と言ったことはない。わたし自身が母から勉強や成績について言われ続けたことが嫌だったからだ。褒められるかと思い90点の答案用紙を持って帰っても「なんであと10点とれんかったの? 間違えたところを見直しなさい」ときたもので、マルよりバツに注目する母からは褒められた記憶がないのだ。 勉強を押し付けられた、成績はよくあらねばならない、と押し付けられた記憶が強くあり、娘には、それをしないと決めていたのだ。ことあるごとに娘には「いいですよ、勉強はしなくていいです」と伝えてきたのだが、驚くことに娘はある時こう言った。 ママはいつも、勉強するなっておしつけてくる、 わたしは愕然とした。 母はわたしに勉強しなさいと押し付けてきた。 わたしは、娘に、勉強しないでいい、と押し付けているようだ。 参った。
「ママ、私はさ。聞いてる? ママ!」 「はい、はい、なに?」 「勉強できるようになりたいの」 「はい」 「ママ、ゆるいからさ」 「いいじゃない、うるさく言われるより」 「みんなからは羨ましがられるけど」 「自慢のママじゃない」 「ゆるすぎる」 「ゆるくしてくださり、ありがとうございますって言ってほしいです」 「は?」 「厳しかったら厳しかったで、厳しすぎるって言い出しますから。人間て、そんなものですから」 「ママといても、全然勉強できるようにならないもん」 「……」 「おばあちゃん生きてたら勉強できるようになったのに」 娘は、わたしの母によく勉強を見てもらっていた。違う。見てくださいと言ったことは一度もないが、母は、それが自分の仕事だと言わんばかりに、宿題だけでなくドリルなども買って準備して娘を待ち構えていた。 「あなた、おばあちゃんに勉強教えてもらうの嫌だって言ってたよ」 「あの時はね」 「あの時」 「だって、おばあちゃん、問題解けないと、こんな問題も解けないの、上の学年に上がれないよ、もうおばあちゃん勉強こんなにできないの見て熱が出てきたって言ってた」 「嫌すぎるじゃない! つらい、聞いてるだけで、つらいじゃない!」 「おばあちゃん、寝こんでた」 わたしが「勉強教えなくていいよ」と言っても、娘に勉強を教えるのをやめなかった母。亡くなる前数年は、悪性リンパ腫を患っていたが、抗がん剤治療をしながら自宅に戻り、戻ると娘が来ることを楽しみにして、勉強を教えるのが自身の役割だと思っていた。「私がいなくなったら誰がこの子に勉強教えるの、心配」と言っていた。
【関連記事】
- 青木さやか 頑張っても自分にマルをつけられない。自己肯定感が低い私が「自己肯定感高く育ってほしい」と子育てして気づいたこと
- 青木さやか「バツイチ合コンの年齢について。30代がいるところに50で参加したくない!湧き上がってくる怒りは昨日今日のではなさそうだ」
- 青木さやか 娘が出かけた後、毎朝わたしはゲンナリする。「部屋、片付けなさいよ」「うん、今日やる!」繰り返されるやりとり
- 青木さやか「肺がんの市民公開講座に参加した。話すことで、〈あの時の辛さが過去のものになったんだ〉と感じることができる」
- 青木さやか「子どもの悩みを聞いて〈親を嫌いになり切れない気持ち〉を思い出した。でも、いつの間にかわたしは、親の立場になっていた」