能登豪雨で見た”災害列島”を待ち受ける近未来 大規模災害で「孤立」が常態化…専門家は「トレンドとして増えていく」
チューリップテレビ
能登の豪雨災害の被災地で、JNN取材団の一員として取材した記者のリポート第2弾です。元日の能登半島地震でも孤立を経験した住人への取材から富山でも起こりうる災害への備えを専門家に聞きました。 【写真を見る】能登豪雨で見た”災害列島”を待ち受ける近未来 大規模災害で「孤立」が常態化…専門家は「トレンドとして増えていく」 能登豪雨から4日目。私たちは、孤立集落の状況を確認するため輪島市街地から北に向かい車を走らせました。 髙木健至記者「ひどい状態です」「バス停が土砂に埋まっています」 しばらく走ると輪島市の観光スポット白米千枚田(しろよねせんまいだ)が見えてきました。 能登半島地震で甚大な被害から復旧した田んぼは、9月に稲刈りを終えたばかりでしたが、土砂崩れで再びのり面が崩れ落ちていました。 地震のあと隆起した海岸側に整備された仮設道路は雨で水没していました。その脇には町へと続く舗装されていない道が作られていました。さらに車を進めると…。 「うわ~あれみんな土砂崩れだ」 山肌がいくつも崩れていました。 「ダメだ」 ■観光名所は一変…大量の流木で悲惨な景色に 能登半島の外浦を走る国道249号は町野町の手前にある里町で行き止まりとなっていました。引き返したところにあったのが『御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)』発祥の地として知られる輪島市名舟町です。 能登で400年以上受け継がれている御陣乗太鼓。上杉謙信の軍勢が能登を攻め込んだ際、村人が鬼や亡霊の面をつけ海藻の髪を振り乱しながら太鼓を打ち鳴らし、上杉軍を追い返したのが始まりとされています。その太鼓を打つことができるのは輪島市名舟町に住む男衆に限られています。 そんな人口180人ほどの御陣乗太鼓の里で取材をはじめました。 「かなりひどいですね。これは…」 目の前に飛び込んできた壮絶な景色に思わず足がとまってしまいました。 「これ川だったんだね。欄干だもん。欄干ですね」 元の姿が想像できないくらいに橋の欄干には大量の流木が。上流に向かうと…。 「普段の様子かわかりませんが、川幅も狭いし、流れが急というわけでもないですし。それが電柱をなぎ倒すくらいの水量になっていたということですよね」