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藤井聡太二冠から2連勝――広瀬章人八段の試行錯誤の先に見えるもの|朝日新聞記者の将棋の日々

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村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者) 「負けました」 コップの水を一口飲んだ藤井聡太二冠が、そう告げて頭を下げた。「最強」の高校生棋士が、まさかの2連敗を喫した瞬間だった。 勝った広瀬章人八段は、にこりともしない。藤井はうつむいている。  「強すぎる」 「強すぎる」 広瀬のチームメートである青嶋未来六段、黒沢怜生五段は、別室で感嘆の声を上げた。   棋士が3人1組のチームで戦う早指しの非公式戦「第3回AbemaTVトーナメント」。6月14日、広瀬がリーダーを務める「チーム広瀬」と、藤井、永瀬拓矢二冠に増田康宏六段を加えた「チーム永瀬」の対戦の模様が配信された。 持ち時間は各5分で、1手指すごとに5秒増える特殊なルール。1対1の三番勝負を3回行い、合計の獲得ポイントで勝敗が決まる。両チームがどの順番で出場するか作戦を練った結果、広瀬は藤井と当たった。広瀬はタイトル獲得の経験があるA級棋士だが、個人戦だった第1回、第2回を連覇している藤井が相手では分が悪いかと思われた。 しかし、ふたを開けてみると、際だつのは広瀬の強さだった。第1局は矢倉、第2局は角換わり。異なる戦型だったが、広瀬の指し手は冴えた。結果的にこの2連勝が大きく、チームの勝利も決まった。 番組が配信された時点で、藤井はまだ七段だった。棋聖戦の第1局を制した直後で、「若武者の初タイトル獲得なるか」にファンの視線が注がれたタイミングでの広瀬の勝利は、ファンを大いに沸かせた。 「1勝はしたいな、と思っていたので2連勝は意外でした」 広瀬は謙虚にそう語る。 両者の初対戦は、2年前の2月にさかのぼる。第11回朝日杯将棋オープン戦の決勝で、共に初優勝が懸かる大勝負だった。 当時、藤井は中学3年生。勝てば、史上最年少での棋戦優勝を果たす。「日本中が藤井君のことを応援しているんだろうな、と思いながら指してました」。広瀬はそう振り返る。 戦型は角換わり。後手の広瀬は、相手からの攻めを警戒しながら駒組みを進めていたが、藤井は機敏な仕掛けでペースをつかむ。最後は、藤井が鮮やかな決め手を放って、勝負が決まった。藤井は15歳ながら、一流の仲間入りを果たしたことを印象づけた。 この時は脇役に回る格好となったが、広瀬自身も同世代の先頭を走ってきた棋士の1人である。2010年に初タイトル「王位」を獲得した時は、早稲田大学に在学中の23歳だった。当時の広瀬の代名詞とも言える戦法が、陣形をがっちり固めて攻める「振り飛車穴熊」。プロの間ではあまり指されていなかったが、鍛錬を重ねて磨かれた広瀬流穴熊は、好成績を挙げる原動力となった。 しかし、1人の棋士が行く手に立ちはだかる。羽生善治九段だ。 羽生を挑戦者に迎えた2011年の王位戦七番勝負。広瀬は振り飛車穴熊を主力戦法として戦ったが、3勝4敗で惜敗した。翌年2月の朝日杯将棋オープン戦決勝でも、振り飛車穴熊で完敗。「他の戦法を指せるようにならないといけない」。広瀬はこの頃から、そう考えるようになったという。 将棋の戦法は、主に居飛車と振り飛車に分かれる。 激しい戦いになりやすい居飛車に比べて、振り飛車はじっくりとした戦いになることが多い。アマチュアの人気はほぼ半々だが、ここ数十年、トップ棋士の多くは居飛車党が占めている。 広瀬は、羽生を始めとする居飛車党の棋士たちの棋譜をとことん研究した。 「それまでの自分は、勢い任せの“アマチュアの将棋”だった。棋譜並べは、本当は奨励会時代にやらないといけない勉強だったが、トッププロがどんな工夫をしているのかわかるのは面白かった」 本人の言葉は控えめだが、裏を返せば、「アマチュアの将棋」でもタイトルを獲得できるほどの才能があったということだろう。数年後には、矢倉や角換わりを得意とする「居飛車本格派」への転身を遂げた。   朝日杯の藤井戦と同じ2018年、広瀬は3年ぶりにタイトル戦の舞台に帰ってきた。第31期竜王戦七番勝負。相手は、王位戦で敗れた羽生だった。 前年に竜王を獲得した羽生は、前人未到の「タイトル獲得通算100期」まであと一つと迫っていた。例年以上の注目を集めた七番勝負で、広瀬は開幕2連敗を喫したものの、その後、追いつく。3勝3敗のフルセットで12月20、21日の第7局を迎えることになった。 対局場である山口県下関市の料亭は、異様な雰囲気に包まれていた。ロビーは、新聞社の報道陣のみならず、テレビ局のカメラマンらで埋め尽くされた。大盤解説会は、県の内外から詰めかけたファンで満員に。後で聞いたところ、羽生の偉業達成を待ち望んでいる人が多かったという。朝日杯の藤井戦と同様、広瀬は逆風の中にいた。 だが、対局室の広瀬は、周囲の喧噪に動じなかった。角換わりに誘導し、丁寧な指し回しでリードを広げていく。羽生は懸命に逆転の手段を探るが、差は縮まらない。「その時」が一歩一歩近づいていく。 午後6時49分。羽生投了。 報道陣が一斉に対局室になだれ込む。コメントを求められた広瀬はこう答えた。 「内容は押され気味だった。4勝できたのは運が良かった」 8年ぶりとなるタイトル獲得だった。 ビッグタイトルを手にした広瀬は、その後もトップ棋士の名にふさわしい活躍を続けている。最も話題になったのは昨年、藤井と対戦した王将戦の挑戦者決定リーグ最終戦だろう。藤井が勝てば、史上最年少でのタイトル挑戦だったが、広瀬はこの大一番を制する。朝日杯の借りも返す勝利だった。 そんな広瀬が春以降、不振に陥っている。3月末に決着した王将戦七番勝負は3勝4敗の惜敗だったが、今年度に入ってからはまだ1勝しか挙げていない。AbemaTVトーナメントの藤井戦は、2月に収録した時のものだった。 7月下旬、広瀬に近況を尋ねた。成績について単刀直入に触れると、思いの外、明快な返事が返ってきた。 「将棋ソフトを使った研究をし過ぎて、読みが衰えたなと感じています。ソフト研究によって、大事なものを失ってしまいましたね」 人間をしのぐほどにまで強くなったソフトは、今や棋士の研究の必須アイテムだ。ソフトは、人が思いも寄らない手を示してくれるが、使い方を誤ると「自分の将棋」を見失うことになりかねない。そうした問題点は、これまでにも聞く機会はあったが、その「副作用」を直接明かされるのは初めてだった。 広瀬は言う。 「ソフト研究の良くない点は、すぐに答えを求めようとして、読みを省略してしまうところですね。現代将棋の悩みと言えるかもしれません」 そして、こう続けた。 「最近は逆に『研究し過ぎないように』気をつけています」 より強くなるために、より勝つために、自分の将棋をどう変えていけば良いのか。試行錯誤は続く。   この夏、将棋界は「藤井聡太二冠誕生」というニュースで沸いた。 「自分が王将戦で勝てなかった渡辺さんに、後手番2勝を含めて3勝1敗。王位戦も4連勝で、見事でした。もう自分より完全に格上になったなと思います」 客観的に捉えれば、そうなのかもしれない。でも、昨年の王将戦、今回のAbemaTVトーナメントでの戦いぶりを見た1人としては、「ちょっと待って」と言いたくなる。 大舞台での藤井との再戦を期待しているのは、私だけではないはずである。 ■村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者)

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