石工の左野勝司さん死去 藤ノ木・高松塚古墳の調査保存に貢献 繊細かつ豪快な「超一流の匠」
藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の石棺開棺や高松塚古墳(明日香村)の石室解体に携わった、石工の左野勝司(さの・かつじ)さんが7月29日、膵(すい)がんのため死去していたことが12日、分かった。81歳。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は長男稚通(まさみち)さん。 [写真]高松塚古墳石室解体で壁画が描かれた最後の石材取り上げ後、奈良文化財研究所の担当者と笑顔を見せる左野さん(左端)=2007年6月、明日香村
左野さんは和歌山県出身。中学卒業後、独学で石工の修業を積んで石造文化財の修理や復元を手がけ、唐招提寺(奈良市)の講堂基壇の修復、春日大社(同)の石灯籠の製作・修復、須弥山石をはじめとする飛鳥の石造物の復元などに携わった。海外でも南米チリ領・イースター島のモアイ像の修復やカンボジアのアンコール遺跡群・西トップ遺跡の調査修復を指導した。2007年に文化庁長官表彰、吉川英治文化賞を受賞した。 1988(昭和63)年には金銅製品をはじめ豪華な副葬品が出土した藤ノ木古墳の石棺の開棺を手がけた。当時発掘調査を担当した前園実知雄・奈良芸術短期大学特任教授は「左野さんは何度も実験を繰り返し、狭い石室に鉄骨を組んで開棺を成功させた。あの日のことは忘れられない」と振り返った。「勉強熱心でものすごい技術を持った職人。奈良の宝、日本の宝、世界の宝といえる人だった。しかも人間味のある優しい人だった」と別れを惜しんだ。
左野さんは2007年、極彩色壁画で知られる高松塚古墳の石室解体にも携わった。当時文化庁の担当だった建石徹・文化財防災センター副センター長は「左野さんがいなかったら脆弱(ぜいじゃく)な石材を動かす発想すら出なかった。石室解体は左野さんの匠(たくみ)の技を前提にしていた」と語り、「いまの高松塚古墳があるのは左野さんのおかげ」と感謝した。「繊細さをもつ超一流の職人でありながら豪快さも共存していた」とも述べ、その功績と人柄をしのんだ。