"本田宗一郎イズム"に忠実 初代シティがホンダのチャレンジ精神の塊であると言われている理由
ブリスターフェンダーのターボII登場
シティターボはユーザーからウケて人気となったが、ホンダは開発手を緩めず、1983年にはターボエンジンにインタークーラーを装着。『ブルドッグ』と呼ばれているシティターボIIを登場させた。ターボIIはエンジンのスペックアップ(最高出力は10ps、最大トルクは1.3kgmアップ)と同時に、大きく膨らんだボンネット、ホンダがダイナミックフェンダーと命名した前後のブリスターフェンダーなどが装着されひと目で違うとわかるデザインで差別化された。ワイドボディによりトレッドは前が30mm、後ろが20mm拡大し、走行時のスタビリティも進化させた。 エンジン型式はターボと同じERターボのままだが、ターボII専用に燃焼室形状を変更してアンチノック性能を向上。クラスに初となるインタークーラーの装備で、当時世界最高クラスとなる過給圧0.85kg/cm2を達成していたのも特筆ポイント。 さらにエンジン回転数が4000rpm以下でスロットルを全開にした場合、過給圧を10秒間約10%アップさせる『スクランブルブーストを採用するなど機能てんこ盛り!!ジャジャ馬的と言われていたが、わかりやすいのがいい。
ワンメイクレースも開催
ホンダはターボIIの登場後にワンメイクレースも開催。鈴鹿サーキットでの『ブルドッグレース』は多くの若者が参戦。マシンはシティターボIIをベースに、由良拓也氏率いるムーンクラフトがデザインし、無限が製作したワイドボディキットを装着。ド迫力のボディで見た目も精悍。 レースそのものもヒートアップしおおいに盛り上がりを見せていたが、何せジャジャ馬的なマシンゆえ、アクシデントも多発。「あのマシン、転ぶんだよな」とはインディ500などに参戦経験のあるレーシングドライバーの松田秀士氏のコメントだが、本当にレース中に転倒したらしい。 このブルドッグレースは、ステップアップを目指す若手ドライバーの登竜門にもなっていて、その後日本のトップドライバーになった人も少なくない。