"本田宗一郎イズム"に忠実 初代シティがホンダのチャレンジ精神の塊であると言われている理由
TV CMが子どもにも人気
前述のとおり、筆者は初代シティがデビューした時は中学3年生。免許を持っていなかった同世代の人間にとっても印象的だったのがTV CM。イギリスのバンド、マッドマックスの『シティ・イン・シティ』(1981年リリース)のCMソング、「ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ」の連呼、真顔でやっているぎこちないムカデダンスなどなどインパクト抜群。この原稿を書くにあたりYou Tubeで検索して当時の映像を見たが、笑えた。ホンダはカッコつけたCMが多かったから異色だった。でも、訴求力は抜群で、シティのCMによりクルマのことを知らない当時の子どもたちにも初代シティを認知させた。
商用モデルも設定
実用性を重視した初代シティ。それは価格にも現われていた。車両価格は、若者でも入手可能な58.8万円(商用のシティプロ )~78万円(シティ R 5)に設定されていた(東京価格)。当時の大卒初任給は12万円程度だったので、今の貨幣価値から考えると150万円程度といったところか。この買いやすい価格も人気の要因だ。鉄チンホイールでシンプルな商用モデル、シティプロは乗用モデルが5MTだったのに対し4MTとなっていたが、商用モデルを設定しているところが1880年代らしいところでもある。 この商用モデルを一般ユーザーが買うことはほとんどなかったが、聞いたところによると営業車として人気が高く、東名高速を爆走するシティプロが多数目撃されていたようだ。商用車として走りが気持ちよかったんだろう。
ターボはハイパワーと燃費を両立
1970年代後半から1980年代にかけて日本車は高性能化が顕著だった。その象徴のひとつがターボエンジン。1979年に日産がセドリック/グロリアで日本車初のターボエンジンを登場させ、三菱もそれに続いたが、ホンダは静観。ホンダの言い分は、「ちょっとパワーアップさせるだけならターボである必要はない」というもの。 静観していたホンダだったが、1982年に初のターボエンジンを初代シティに搭載。ホンダがターボエンジンを搭載した裏には、当時極悪と言われていたターボの燃費を改善し、ハイパワーと燃費性能をホンダが納得できるレベルで両立できたことにある。 初のターボエンジンは100ps/15.0kgmのスペックも素晴らしいが、当時の燃費基準である10モード燃料消費率は18.6km/L、60km/h時燃料消費率は27.0km/L(ともに運輸省届出値)で、これはターボエンジンとしてはナンバーワンの燃費性能を誇った。 その一方で、ある回転域から一気にターボパワーが盛り上がる、ユーザーにとってわかりやすい演出をしていたことも人気となった重要なポイントだろう。