隠岐諸島で復活したニホンミツバチ養蜂 元中学教師が独学で確立
蜂蜜好きが高じて絶滅寸前だったニホンミツバチを復活――。島根県隠岐諸島の西ノ島町に住む元中学校教師の安達和良さん(80)は、島にわずかに残っていた蜂を探し、独学で島の環境に適した養蜂を確立した。仲間を募り、自作の巣箱や蜂を提供。今は西ノ島町、海士町、知夫村の隠岐島前地域で50人以上が蜂蜜を作り、Iターン者の収入源にもなっている。(鈴木健太郎)
蜂蜜好き高じて「自分で作ろう」
若い頃から1、2升の蜂蜜を買い、常備していた安達さん。2000年ごろに国産蜂蜜の価格が高騰し入手が難しくなり、「自分で作ろう」と考えた。 養蜂の本を読み、飼うのはニホンミツバチに決めた。「セイヨウミツバチは、蜜が多く取れるが病気に弱くスズメバチに無力。日本ではニホンミツバチが飼いやすい」と話す。 島では1955年ごろに養蜂が途絶えていた。野生の蜂探しは難航した。2、3年の地道な聞き取り調査で神社や寺の境内で群れを発見。2005年から少しずつ集めていった。 飼育は試行錯誤した。蜂の捕獲には4、5月の巣分かれの時期に咲くラン科のキンリョウヘンを使うが、参考にした本と島での開花時期が異なり、うまく誘導できなかった。ハウスで加温するなど調整した。軽いきり材で作った巣箱はスズメバチに食い破られたため、硬いあすなろ材などを使うようにした。
3島の有志で「復活プロジェクト」
10年に4群の蜂の飼育に成功し、手応えを得た。関心を持つ人には飼育方法を伝え、所有する山の木で作った巣箱も提供し、島のニホンミツバチを増やした。 安達さんの調査では隠岐島前地域の他の2島はニホンミツバチがいなかった。13年に3島の有志約30人で「知夫里島・中ノ島和蜂復活プロジェクト」を設立し、普及を進めた。 今は50人以上に増え、多い人は10群以上を飼う。1群から取れる蜂蜜は2、3リットル。セイヨウミツバチの4分の1と希少なため高値で販売できる。Iターン者が副業とすることも多いという。 「これからはニホンミツバチが住みやすい環境づくりが大事だ」と安達さん。自宅の庭では周年で花を育て、山には蜜源となる花木を数百本植えた。蜂と遊ぶ住まいという意味の「玩蜂庵(がんほうあん)」を名乗り、蜜を求めて飛び交う蜂を笑顔で見守る。
日本農業新聞