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婚約破棄に自殺未遂騒動に激ヤセ…宮沢りえのピンチは続いた【芸能記者稼業 血風録】

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日刊ゲンダイDIGITAL

【芸能記者稼業 血風録】#73  ヌード写真集から1年後の1992年11月。19歳の宮沢りえと1歳年上の当時の貴花田の婚約が発表された。女優として無限の伸び盛りの時期。「親方夫人になれば、芸能活動は実質、引退」と懸念する声もあったが、お揃いのピンクの着物で会見場に座った2人は幸せに満ちあふれていた。  翌年1月、事態は急変。週刊誌の「結婚破断」の報道を受け、2人は時間をずらしてそれぞれ会見。 「人生最高のパートナーになれなかった」(りえ) 「自分の愛情がなくなりました」(貴花田)  明確な理由は明かさなかったが、2人の温度差、奥歯にものが挟まったような言葉を選んだ話に誰もが違和感を持っていた。会見が終わると「両家の間でなにかあったみたい」と記者同士は情報交換。婚約解消を持ち出したのは花田家側という説が大半を占めた。相撲を通しメディアとの友好的な付き合いで知られる花田家もこの話だけは固く口を閉ざした。  真相にたどり着くのが難しいテーマのひとつが婚約破棄。離婚や不倫は時間の流れとともに「今だから話せる」と当事者が真相を語ることはあるが、結婚破談に関しては語られたケースはない。 ■「コップが割れて左手首を切った」と言うが…  取材にはすっきり終わるものもあれば、りえの破談のようにモヤモヤしたまま閉じるケースもある。自殺未遂騒動もしかり。写真集を機に順調に芸能活動をしていたりえが再びメディアの標的になったのは94年9月のこと。舞台は京都。撮影で滞在していたホテルで自殺未遂騒動が起きた。  宮沢側の説明によれば、「泥酔して戻った際、バスルームの洗面台のコップが割れて左手首を切った」と事故だったと説明。だが、歌舞伎公演で京都に滞在していた中村勘九郎(後の故・勘三郎)と飲んでいたことが判明。不倫の末の自殺未遂かと大騒ぎになった。勘九郎は激怒。すぐさま「冗談じゃない」と否定した。  ちなみに、歌舞伎界はスキャンダルでも本人の口から話すのが伝統的。勘九郎は先駆者的な存在だった。歌舞伎関係者によると、「歌舞伎の世界は贔屓筋を大切にする。本人の口からメディアを通じて贔屓筋に説明をしている」という。  密室の出来事を疑ったらキリがないが、不自然さは残った。ホテルのバスルームで簡単にコップは割れるのだろうかという素朴な疑問が湧き、同じホテルに宿泊して検証した。バスルームの床は薄いカーペットを敷き詰めてあり、コップを誤って落としても割れることはない。割るには洗面台に強く叩きつけるしかないと思ったが、どうしたらコップが割れて手首を切るのか釈然とはしなかった。やはりモヤモヤ感は残ったまま幕引きとなった。  すると今度は「りえが拒食症で激ヤセ」という報道が相次いだ。女性が自分の身に置いて考える体形やダイエットは女性誌の格好のネタ。各誌は証言と写真(痩せているように見える)で報道。激ヤセは女優業に影響をもたらす。りえのピンチは続いた。 (二田一比古/ジャーナリスト)

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