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朝ドラ『エール』「露営の歌」の大ヒット、そして「暁に祈る」誕生秘話

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婦人公論.jp

NHK連続テレビ小説『エール』で、窪田正孝さんが演じる主人公・古山裕一のモデルは、「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」などを手掛けた名作曲家・古関裕而だ。本放送が再開となったいま、物語は裕一が作曲した「露営の歌」の大ヒット、さらに軍からの依頼で新しい楽曲作りに奮闘する姿を描いている。実際「露営の歌」は戦前の流行歌の売り上げ枚数第一位となる56万枚を記録。『エール』の風俗考証をつとめ、遺族にも取材している刑部芳則さん(日本大学准教授)の著書には、この曲によって古関の人生が大きく変わっていく様子が記されている。 「露営の歌」は戦前最大のヒット曲となり歌碑も建てられた ※本稿は、評伝『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)の一部を、再編集したものです * * * * * * * ◆満州への旅 昭和12年(1937)の春、古関裕而は妻金子(ドラマでは二階堂ふみさん演じる音)と相談し、満州に住む金子の兄や妹と会うため、満州旅行の計画を立てた。出発は夏を予定していたが、7月7日に盧溝橋事件が勃発し、中国大陸では日本と中国の両軍が軍事衝突した。しかし、夫妻は計画を中止せず7月下旬に神戸から吉林丸で中国の大連を目指し、大連から奉天までは満州鉄道の特急「あじあ号」で向かった。さらに新京、ハルビン、松花江畔と巡回し、再び大連に戻った。旅順では、日露戦争のときに陸軍大将乃木希典とロシアのステッセル将軍が和平会談を行った水師営のナツメの木を見学し、二〇三高地や東鶏冠山も見て回った。 大連から神戸には往路と同じ吉林丸に乗船した。豪華な一等室の船旅で2日目を迎えた昼頃、ボーイが電報を持ってきた。コロムビア文芸部からで「急ぎの作曲があるから神戸で下船しないで門司から特急で上京されたい」という。門司で下船すると、フェリーで下関に渡った。そこの駅前旅館で『東京日日新聞』を開くと、「進軍の歌」の懸賞募集の結果が目に飛び込んできた。

◆汽車が揺れるリズムに乗って作曲 すでに第一席に選ばれていた「進軍の歌」の歌詞には陸軍戸山学校軍楽隊が作曲したことが報じられた。第二席の藪内喜一郎の歌詞について、選者の一人である北原白秋は、良い曲がつけば日露戦争で生まれた軍歌「戦友」のような存在になるだろうと述べていた。 下関から特急「富士号」に乗車したが、東京に着くまで十数時間を要した。退屈を感じた古関は、懸賞募集第二席の歌詞を思い出し、『東京日日新聞』を広げた。「勝って来るぞと勇ましく」は山陽線の各駅で見られた出征兵士を送る光景であり、「土も草木も火と燃える」や「鳴いてくれるな草の虫」は旅順で見た風景であった。 汽車が揺れるリズムに乗って簡単に作曲でき、東京に着くまで金子と二人で歌っている。東京に着くと古関はコロムビアに向かった。担当のディレクターに「急ぎの曲って何ですか」と聞くと、『東京日日新聞』の第二席の歌詞に曲をつけて「露営の歌」として作りたいという。 古関は一瞬驚いたが、「あッ、それならもう車中で作曲しました」と、五線譜を取り出して見せ、ディレクターも「どうして分かりましたか」とびっくりした。「そこはそれ、作曲家の第六感ですよ」と答えると、「ちょうど短調の曲が欲しかったところなんです」と大喜びであったという。偶然の産物であったが、この曲が古関のその後の人生を大きく変えた。

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