赤ちゃんポスト開設15年 預け入れられた少年の“その後” 18歳になった今、伝えたい思いとは
■161人の子どもが命つなぐ
日テレNEWS
親が育てられない子どもを匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」。いわゆる「赤ちゃんポスト」が熊本市の慈恵病院に開設されてから、15年になる。 【画像】国内初の“内密出産”… 「赤ちゃんポスト病院」親の名前書かず出生届提出へ 育児放棄を助長するという声もある中、これまで161人の子どもが「こうのとりのゆりかご」で命をつないだ。 宮津航一さん(18)もその一人。 「僕はこのゆりかごを通して助けてもらったし、今の幸せな生活があるので感謝の気持ちがある。賛否両論分かれる中で、大きなものをこのゆりかごは負っている」 航一さんは、預けられた子どもだからこそ、今伝えたいことがあるという。ゆりかごとは。そして、家族とは…。
■いつ、誰から生まれたのか…
航一さんが「ゆりかご」に預け入れられたのは、開設の初年度。保育器のうえにちょこんと座り、時折笑顔を見せていたという。 出生に関する情報は一切なく、いったん児童相談所に保護された。名前は、当時の熊本市長がつけた。 その後、航一さんは、市内でお好み焼き店を営んでいた宮津夫婦のもとへ。5人の息子の子育てが一段落した宮津夫婦は、社会のために何かできないかと考え里親に登録し、初めて迎えた里子が当時3歳の航一さんだったのだ。 当時のことを、母のみどりさんはこう振り返る。 「最初はこの子も全然泣かなかった。泣かないし、抱っことか全然言わなかった。甘えなくてね」
■夜は川の字で就寝
1日1回は抱っこして、夜は川の字で寝る。一緒に笑い、一緒に悩む。ともに過ごす日々が親子の絆を育んでいった。 そして4歳になったころ。 「新聞でゆりかごの記事を見て、僕ここに行ったことがあるって言ったからびっくりしちゃって(みどりさん)」 航一さんは、「ゆりかご」の扉の絵を覚えていたという。その日以来、夫婦は、新聞やテレビの報道を見せながら航一さんが自分たちのところに来た理由を話してきた。 「実のお母さんも あなたのこと愛して、あなたのことが大事だったんだからね。あなたと出会えて私たちも幸せだったって(みどりさん)」