山本益博が毎月1本、落語名作をご紹介ー今月は『寝床』
『寝床』ー大家の旦那が聴くに堪えない素人芸で長屋連中を困らせる
グルメ評論でおなじみですが、山本益博さんは40年以上、名人芸を追い続けてきた落語評論家でもあります。名人たちに語り継がれてきた落語の名作から、益博さんお気に入りの噺を毎月一席ずつ、主宰されるCOREDO落語会の話題も交え、ご紹介いただきます。(ぴあアプリ「山本益博の ずばり、この落語!」より転載) 落語の名作に『酢豆腐』がある。ある長屋で、夏場の時分に「豆腐」を腐らせてしまい、棄てるところを、いつも蘊蓄(うんちく)ばかり垂れて通人ぶる半可通に「唐来もの」の土産物と称して、食べさせてみようと一計を案じる。結末をご存じない方は『酢豆腐』をお聴きになると良いが、この「半可通」のことを、「酢豆腐」と呼んだりする。 『やかん』も同様で、隠居の先生が神羅万象、なんでも知ったかぶりして、知らないものはないと豪語する。そういう強がりを言う者を「あいつは、やかんだね」という。旅先での出来事を、針小棒大に、あることないことまくしたてる虚言癖、ほらふきは「弥次郎」となる。 その伝で、素人芸、旦那芸のことを「寝床」と言う。 『寝床』を初めて聴いたのは、六代目の三遊亭圓生の高座だった。圓生は上方大阪出身で、幼少の頃、豊竹豆仮名大夫を名乗って、義太夫語りだった。 肺を患い、義太夫語りをやめ、落語家に転身しただけあって、素人義太夫の旦那が主人公の『寝床』は得意の演目と言ってよく、まくらでは「竹本義太夫」「近松門左衛門」の名まで出して、浄瑠璃の解説をかいつまんで聞かせた。 本題に入れば、床本の名作の名前を、いくつでもすらすらと読み上げ、一節語ったりまでして、観客を感心させ、楽しませてくれた。今でも、映像に残る圓生の高座を聴くと、正調の『寝床』が堪能できる。 ところが、八代目桂文楽の『寝床』を聴くと、印象ががらり変わってしまった。義太夫の素人芸を押し売りする主人公の旦那がクローズアップされ、旦那の喜怒哀楽が短い時間の中で目まぐるしく展開する面白さ。噺の運びで、文楽の「ご機嫌な芸」が満喫できる十八番になっていたのだ。 『寝床』のあらすじは、以下の通り。 長屋の家主でもある大家の旦那は義太夫に凝ってはいるものの、聴くに堪えない素人芸で、毎度、店の者や長屋連中を困らせ、嫌がられている。 今日もまた、芸のお披露目と称して、義太夫の三味線のお師匠さんを呼び、料理の準備を整え、あとは、お客様を迎えるだけだった。 そこへ、長屋を廻ってお披露目の声がけをしてきた番頭の勢蔵が帰ってきた。早速、旦那は誰が聞きに来るかと問い詰めるが、番頭は、いろいろ言い訳を並べては、結局、誰も来られないと白状する。 はじめは、旦那は都合の悪い者に同情していたのだが、次第に機嫌を悪くして、とうとう癇癪を起してしまう。「師匠には帰ってもらい、料理は返してしまい、見台なんぞは壊してしまえ」と。最後には、「全員、明日の12時をもって、店を明け渡しておくれ」とまで、無茶を言い出す始末。 そこまで、旦那に言われては、長屋の者は、旦那の素人芸に付き合わざるを得ない。仕方なく、それぞれが言い訳を用意しつつ、とりなしの巧い者が、旦那のご機嫌を取ってゆく。 機嫌を直した旦那が、みっちり語り始めると、誰もが飲み食いしたあと、居眠りをしたり、寝転んで寝てしまう。 御簾内で語っていた旦那が御簾を明けて、この様子に再び激怒する。ただ、丁稚の定吉のみが泣いている。旦那は義太夫を聴いて泣いていると感心したのだが、「馬方三吉の子別れ」「先代萩」と、どんな狂言で泣いたのか聴いても泣き止まず、定吉は「あそこなんです」と指を指したところは、旦那が義太夫を語っていた床だった。「あそこは、私の寝床なんです」。 文楽ならではの場面は、とりなしの巧みな者が、旦那の機嫌を直してゆくところである。とりなしの巧みな者と言いながら、旦那のご機嫌が次第に直ってゆく間、噺の会話には登場しない。 旦那がとりなしの者の言葉に反応し、はじめは一言一言に言い訳をつけて返すが、調子のよい言葉に乗せられ、もったいをつけながらも渋々承諾する。 この長いシークエンスが旦那のひとり語り、言ってみれば、電話で受話器をもって、相手の言葉に反応するひとり台詞と同じと思えばよい。観客は旦那と一緒に気持ちよくなっていく自分に気づくのだ。文楽の十八番なかでも、傑作の名場面として記憶してよいのではなかろうか。いまでも、DVDやYouTubeで楽しめる。