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「サラ台風」義援金の返礼で贈った石敢當、建立50周年

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宮古毎日新聞

記念の集いに川崎市長、郷友らが参加

 1959年の「サラ台風」で甚大な被害を受けた宮古島に義援金1万ドルを送付した川崎市で28日、宮古島から返礼で贈られた魔除け石碑「石敢當」の建立50周年を記念する集いがJR川崎駅東口広場で開かれた。  来賓として、同市の福田紀彦市長が出席したほか、関東宮古郷友連合会の嵩原信夫会長(72)らも参加した。下地敏彦宮古島市長からのメッセージも披露された。集いは、川崎沖縄県人会(比嘉孝会長)が主催した。  サラ台風当時、川崎市では宮古島を支援するため、全市を挙げて募金活動が行われたという。返礼として宮古島から石敢當5体が寄贈され、このうち1体が同駅前のバスターミナルに交通安全祈願として1970年に設置された。50周年のイベントには市民ら数十人が集まり、川崎と沖縄、宮古島の結びつきの強さを感じさせた。  嵩原会長は、就職を期に川崎に引っ越して51年になる。「サラ台風で家が倒壊しそうになって一家で隣の家に避難させてもらい、命拾いした記憶がある。川崎市議会の皆様、市民の皆様が義援金を送ってくださったことに、感謝の思いでいっぱい」と語った。  また、「郷友会としても、これを機会に川崎市民との交流を深めていきたい」と、宮古島のトラバーチンでできた石敢當を見詰めながら話していた。  集いでは、同連合会の福里正行副会長(65)が、下地市長の「(交流の)きっかけは台風被害という痛ましいものではあったが、石敢當はこれからも未来永劫、川崎市と宮古島の絆を象徴するもの。今後とも末永く伝え続けていかねばならない」とのメッセージを代読した。  川崎市の福田市長は、川崎沖縄県人会の設立と同市の成立が同じ1924(大正13)年であることを引き合いに、沖縄との関わりの強さを強調。「川崎の玄関口に石敢當があるのは、大きなことだと思う。そのスピリットは、これからも引き継がれるだろう。大正時代から、沖縄の方が川崎に働きに来られて、川崎の発展を作った歴史がある」と振り返った。  川崎沖縄県人会の比嘉会長(72)は、「コロナでイベントを開くか迷ったけれども、建立半世紀を祝いたい」と、開催にこぎつけたことを強調した。  同市内では昨年10月末の首里城火災を受け、11カ所に再建へ向けた募金箱が置かれた。比嘉さんは、サラ台風と首里城再建の義援金に触れたうえで、「川崎市民は助け合いの『ゆいまーる精神』がたくさんあり、沖縄と同じじゃないかと思う」と挨拶した。