不気味なほど伸び続ける「クロワッサン屋の行列」が怖い…浅倉秋成『まず良識をみじん切りにします』の奇妙な読み心地とは(レビュー)
日常のふとした歪みから始まる、奇妙な味の物語。浅倉秋成『まず良識をみじん切りにします』に収録された五つの短編を表わすには、このような言葉が相応しいだろう。
本書は浅倉秋成にとって初のノンシリーズ短編集となる。これまで浅倉はミステリ、特に謎解き小説の書き手という印象が強かったが、本書の収録作はジャンルには括ることの出来ない、奇妙としか言い様のない読み心地のものだ。その中で最も奇抜な設定で読ませるのは「行列のできるクロワッサン」である。吉祥寺に新しく開店したクロワッサン専門店に、驚くほど長蛇の列が連日、できあがっていた。主人公である専業主婦の絵美はクロワッサン屋に興味を引かれるママ友を見ながら、自分だけは周りになびかず行列に並ぶまいと決心する。だが絵美の固い決心を尻目に、行列は不気味なくらいに伸び続けていく。群集に対する反発と憧れが入り混じる、人間心理の捻れを巧みに描いた短編だ。ひたすら伸び続ける行列の描写がユーモラスな一方、読む者の不安を増幅させる。笑えて怖い話なのだ。 物事に対する正常と異常の判断がひっくり返るような感覚を味わう短編もある。「そうだ、デスゲームを作ろう」がそれで、取引先から受けるハラスメントに耐えかねた会社員が、突飛な計画を企てて復讐を果たそうとする話だ。人間の内面に燻る狂気を描いた小説のように最初は思えるが、最後には見えていた光景と異なる結末が待っている。読者の良識を揺さぶるとはこういうことか、と身震いがする幕切れだ。 巻末に収められた「完全なる命名」は生まれたばかりのわが子の名前を付けるのに苦悩し続ける父親の話だ。子供の名前を考える、という当たり前の出来事を題材にしながら、作者は奇想天外な手法を用いて現代の不安や違和感を炙り出す。夢想を漂うような物語の中に、鋭い現実が突き付けられる。 [レビュアー]若林踏(書評家) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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